小遊びで作ってみたKMMリーグのページだけど、1日に200件くらいのアクセスがあるのはなんで?。ひょっとして、このバカブログのおバカな読者様がとりあえずアクセスしてくれてるだけかもしんない。でも、それはそれで有り難いことだ。
話しはかわるけど、ブログを覗き見する人ってどのくらいの数のブログを見てるんだろう。
ちなみにボクのお気に入りは10個もない。毎日読みに行くなんてとんでもないことだし、仕事の合間にチロチロっと覗く程度。でも、もし昔みたいに長時間の電車通勤だったりしたら、いろんな人のブログを読書代わりに読んでたのかもしれない。
間もなくこのバカブログも丸3年を迎える。
ブログをやるようになったキッカケは、別のページで記録もの(ドキュメンタリー)を綴ってたんだけど、息抜きのつもりでこのバカブログをはじめたとそういうことなのだ。それが、ダラダラと今日まで続いているってそういうことなのだ。その間にリョー坊が野球をやりたいと言い出したから、野球の話しがメインみたいになっていると、ただそれだけのことだ。
ブログを始めてから、多くはないものの他の人のブログも読むようになったけど、残念なことは、閉鎖されるブログが結構あったってこと。
また今回もボクのお気に入りのブログが閉鎖されるらしい。
そのブログについては、これまで、年に1度は触れていたように思う。
そのブログとの出会いは偶然だったし、当時、そのブログは産声を上げたばかり。おまけにそのブログデザインはボクと同じで親近感があった。だからってワケじゃないけど、ボクはその筆者に惹かれていったのは事実だ。いや、「惹かれていった」というのは、なんかしっくりこないな。なんだろうな、なんか同じニオイを感じたというか、そんなところかもしれない。いずれにしても、そのブログが気に入っていたことは間違いない。だけど、ボクはその筆者が人格者であるなんて、これっぽっちも思ってはいない。一職人だと思っている。仕事を通じて思い悩み、世間に翻弄されながらも職人としてその職人の道を模索している姿を勝手に想像している。そういう人は多い。
筆者がその職についたイキサツなんてどうだっていい。
でも、今は、違うじゃんって言いたいんだ。筆者が必死で考え続けている死生観。う~ん、死生観の思考作業と言ってもいいかもしれない。それは、その職についた者の避けることのできない研鑽そのもののような気がしてならない。
そういうワケで、特殊清掃「戦う男たち」、間もなく終焉。
話しはかわるけど、ブログを覗き見する人ってどのくらいの数のブログを見てるんだろう。
ちなみにボクのお気に入りは10個もない。毎日読みに行くなんてとんでもないことだし、仕事の合間にチロチロっと覗く程度。でも、もし昔みたいに長時間の電車通勤だったりしたら、いろんな人のブログを読書代わりに読んでたのかもしれない。
間もなくこのバカブログも丸3年を迎える。
ブログをやるようになったキッカケは、別のページで記録もの(ドキュメンタリー)を綴ってたんだけど、息抜きのつもりでこのバカブログをはじめたとそういうことなのだ。それが、ダラダラと今日まで続いているってそういうことなのだ。その間にリョー坊が野球をやりたいと言い出したから、野球の話しがメインみたいになっていると、ただそれだけのことだ。
ブログを始めてから、多くはないものの他の人のブログも読むようになったけど、残念なことは、閉鎖されるブログが結構あったってこと。
また今回もボクのお気に入りのブログが閉鎖されるらしい。
そのブログについては、これまで、年に1度は触れていたように思う。
そのブログとの出会いは偶然だったし、当時、そのブログは産声を上げたばかり。おまけにそのブログデザインはボクと同じで親近感があった。だからってワケじゃないけど、ボクはその筆者に惹かれていったのは事実だ。いや、「惹かれていった」というのは、なんかしっくりこないな。なんだろうな、なんか同じニオイを感じたというか、そんなところかもしれない。いずれにしても、そのブログが気に入っていたことは間違いない。だけど、ボクはその筆者が人格者であるなんて、これっぽっちも思ってはいない。一職人だと思っている。仕事を通じて思い悩み、世間に翻弄されながらも職人としてその職人の道を模索している姿を勝手に想像している。そういう人は多い。
筆者がその職についたイキサツなんてどうだっていい。
でも、今は、違うじゃんって言いたいんだ。筆者が必死で考え続けている死生観。う~ん、死生観の思考作業と言ってもいいかもしれない。それは、その職についた者の避けることのできない研鑽そのもののような気がしてならない。
そういうワケで、特殊清掃「戦う男たち」、間もなく終焉。