残念ながら、我がリーグのメジャーチームは1回戦敗退でした。
善戦するも5-6の逆転サヨナラだったそうです。
勝負の世界だから、これは仕方がありません。
さて、話しは変わりますが今日は通夜でした。
一昨年前の正月に同居していた父方の祖母が亡くなってしばらくたった頃、母方の祖母が我が家(二世帯住宅の1階)に越してきたのでした。
母方の祖母は94歳まで一人暮らしでした。
ボクは子供のころ、夏休みや休日はよく祖母の家に泊まりに行っていました。
祖母の家の前には川があり裏には山があり、魚釣り、蟹獲り、クワガタ採り、よく遊びました。お風呂は薪で沸かしていました。
実は野球のルールをボクに教えてくれたのは、その祖母でした。
祖母は野球観戦が大好きで、低学年だった頃のボクに高校野球のテレビ中継を見せながらアレコレ解説をしてくれるのでした。変化球のことを最初に教えてくれたのも祖母だったように思います。また、祖母は俳句もたしなんでいました。
一昨日前の金曜の夕方のことでした。6月になって入院した祖母の様態が悪くなったとの知らせがありました。もともと心臓が弱っていたのですが、腸閉塞が起こったらしいとのことでした。心臓の状態から手術は困難とのことでした。
昨日夕方、練習が終わった愚息とカミさんと三人で病院に向かいました。
痛みを和らげる処置はなされていたようでしたが、腸閉塞の心臓への影響は大きいようで息苦しい様子でした。それでも、ボクらのことは認識できていて愚息に声を掛けてくれました。ただ、付き添っていた母の説明によれば、明日まで持つかどうかとのことでした。
一度、我が家に戻り、部活から帰ってきた娘たちを連れて再度病院へ向かいました。昨晩の8時くらいだったと思います。目は開いていましたが視力はかなり低下しているようで、うちの娘たちは認識できていない様子でした。
しかし、見舞いに来た娘達に「お世話になります」と必死に声を掛け、胸元に掛けてあったタオルケットをキチンと正そうとするその姿は立派でした。
祖母の様子は次第に悪くなり、そして何か一生懸命話したそうでしたが、うまく言葉にはなりませんでした。そうこうしているうちに、病室に集まっていた曾孫たちが泣き出しました。特に、小学生の男子共がヒーヒー声を出して泣き出しました。
すると、祖母はすでにせん妄状態にあったはずなのですが、泣いている曾孫の手を握ろうとするのでした。泣いている曾孫をまるであやすかのようでした。
9時すぎ、曾孫たちにお別れを告げさせました。
ボクは耳元で言いました。
「また明日来るけんね!」
祖母は少し微笑みました。
しかし、本日午前6時ごろ、祖母は亡くなりました。
97歳でした。
悲しみの夜明けの庭の鉄線花
かぶと虫取れて昼寝やいとこ同士
秋ふかし人恋しさのつのる夜も
風ともう語ることなく散る銀杏
あと一つ曲がれば故郷麦の秋
小春日の雑踏にいて孤独なる
夜の梅月に白さを貰ひけり
忙しく一日終わりて柚子湯かな
風呂吹きに父のこと又母のこと
孫の目の鋭さ蟹を見のがさず
コンサート果てて師走の人となる
夫あらば米寿を祝ふ春なるに
卓上に鉄線の白一輪を
楠本 泰 句集「鉄線花」より
善戦するも5-6の逆転サヨナラだったそうです。
勝負の世界だから、これは仕方がありません。
さて、話しは変わりますが今日は通夜でした。
一昨年前の正月に同居していた父方の祖母が亡くなってしばらくたった頃、母方の祖母が我が家(二世帯住宅の1階)に越してきたのでした。
母方の祖母は94歳まで一人暮らしでした。
ボクは子供のころ、夏休みや休日はよく祖母の家に泊まりに行っていました。
祖母の家の前には川があり裏には山があり、魚釣り、蟹獲り、クワガタ採り、よく遊びました。お風呂は薪で沸かしていました。
実は野球のルールをボクに教えてくれたのは、その祖母でした。
祖母は野球観戦が大好きで、低学年だった頃のボクに高校野球のテレビ中継を見せながらアレコレ解説をしてくれるのでした。変化球のことを最初に教えてくれたのも祖母だったように思います。また、祖母は俳句もたしなんでいました。
一昨日前の金曜の夕方のことでした。6月になって入院した祖母の様態が悪くなったとの知らせがありました。もともと心臓が弱っていたのですが、腸閉塞が起こったらしいとのことでした。心臓の状態から手術は困難とのことでした。
昨日夕方、練習が終わった愚息とカミさんと三人で病院に向かいました。
痛みを和らげる処置はなされていたようでしたが、腸閉塞の心臓への影響は大きいようで息苦しい様子でした。それでも、ボクらのことは認識できていて愚息に声を掛けてくれました。ただ、付き添っていた母の説明によれば、明日まで持つかどうかとのことでした。
一度、我が家に戻り、部活から帰ってきた娘たちを連れて再度病院へ向かいました。昨晩の8時くらいだったと思います。目は開いていましたが視力はかなり低下しているようで、うちの娘たちは認識できていない様子でした。
しかし、見舞いに来た娘達に「お世話になります」と必死に声を掛け、胸元に掛けてあったタオルケットをキチンと正そうとするその姿は立派でした。
祖母の様子は次第に悪くなり、そして何か一生懸命話したそうでしたが、うまく言葉にはなりませんでした。そうこうしているうちに、病室に集まっていた曾孫たちが泣き出しました。特に、小学生の男子共がヒーヒー声を出して泣き出しました。
すると、祖母はすでにせん妄状態にあったはずなのですが、泣いている曾孫の手を握ろうとするのでした。泣いている曾孫をまるであやすかのようでした。
9時すぎ、曾孫たちにお別れを告げさせました。
ボクは耳元で言いました。
「また明日来るけんね!」
祖母は少し微笑みました。
しかし、本日午前6時ごろ、祖母は亡くなりました。
97歳でした。
悲しみの夜明けの庭の鉄線花
かぶと虫取れて昼寝やいとこ同士
秋ふかし人恋しさのつのる夜も
風ともう語ることなく散る銀杏
あと一つ曲がれば故郷麦の秋
小春日の雑踏にいて孤独なる
夜の梅月に白さを貰ひけり
忙しく一日終わりて柚子湯かな
風呂吹きに父のこと又母のこと
孫の目の鋭さ蟹を見のがさず
コンサート果てて師走の人となる
夫あらば米寿を祝ふ春なるに
卓上に鉄線の白一輪を
楠本 泰 句集「鉄線花」より