1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る冒険』19.景行天皇の出身地、纏向(まきむく)へ

2022-12-12 21:03:00 | 景行天皇の記録
【景行天皇の出身地、纏向(まきむく)へ】
『肥前国風土記』には景行天皇は「纏向(まきむく)の日代(ひしろ)の宮に御宇(あめのしたしろ)しめししの天皇(すめらみこと)」と書かれているように、景行天皇の本拠地は、奈良盆地の東側の三輪山麓の纏向です。ヤマト王権の発祥の地として有力視される根拠となった箸墓古墳をはじめ、古墳時代初期の遺跡や遺物がこの地域で発見されていることで有名です。
そして、その背後にある三輪山の麓には国内最古の神社と言われる大神神社(おおみわじんじゃ)があります。大物主大神(おおものぬしのかみ)が鎮まる神の山として信仰され、現在も登拝については申請が必要で撮影が禁止などの厳格なルールが設けられています。
また、三輪山の山中には信仰の対象となっている磐座(いわくら)が点在し、神社の古い縁起書には頂上の磐座に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、中腹の磐座には大己貴神(おおなむちのかみ)、麓の磐座には少彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮まる
とされています。



纏向の位置



纏向遺跡と三輪山


纏向遺跡
桜井市纏向学研究センターwebサイトより


私が大神神社を訪れたのは新型コロナ感染症の第6波直前の暮れも差し迫った令和3年12月30日でした。参道沿いでは既に初詣の賑わいを見込んだ出店の準備が始まっていて、その間を参詣者が縫うように歩いていました。私は登拝の受付時間に間に合うようにタクシーを利用していたのですが付近では渋滞も発生していました。

三輪山は標高467mです。麓の平坦なところの標高は70mなので比高差はおよそ400mです。奈良盆地を取り巻く山としては平均的な高さですが、遠望すると頂上から伸びる左右対象な山裾の傾斜が絶妙です。険しくもなく、かといって穏やかであると表現するのも悩ましいといった具合です。やはり、均整のとれた秀麗な山容との表現がふさわしいかもしれません。

受付を済ませると登拝についての説明を受けなければなりません。入山の心得では写真撮影はおろかスケッチもNGです。当然、草木、土、岩石の採取も禁止事項です。神聖さゆえに裸足で登拝される方々もいます。

奥に見えるのが三輪山、手前は大神(おおみわ)神社の大鳥居



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