1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

この物語は絶対フィクションです。

2011-09-21 23:34:02 | 雑談の記録
今日の藤崎台球場は台風97号の吹き返しの影響で西方向からの風が強かった。
つまり、外野側からの風で投手有利だった。

5回裏の済々黌の攻撃にボクは全く期待していなかった。
4回のチャンスに四番山下が三振で攻守交替。加えて、ここまでの済々黌の打撃に、ハッキシ言って不信感を抱いてしまっていたから。なんでかっていうと、済々黌の打者は、4番以外は全員左。そして、そのほぼ全員が左打ち専門の様相。
日ごろ、スラッガーばかりを目にしているボクにとっては、なんとも心もとなかった。
対戦相手の必由館は、完全な左よりの済々黌シフト。
守備陣らに舐められている感すらあった。

5回からの下位打線の攻撃に、ボクは全く期待していなかった。

一死の後に6番松永がヒットで出塁し、7番大竹がバントで送って二死二塁の場面で8番中村。打撃フォームや打順からみてタイムリーは期待薄。しかし、粘りに粘って四球。
そして9番中川。左方向のファールを連発。

ここまでの下位打線の打撃に「右」という文字はなかった。
「こいつら、右には打ちきらんばいな」
野手達はそう思っていたに違いない。
ボクは、完全にそう思っていたし、それが「方針」かもしれないと思い始めていた。
ところが、追い込まれてから変化球に合わせた中川選手の打球は一二塁間に転がった。
二塁手が反応できていなかった。あの打球で二塁手がボクの視野に入ってこなかった。
ライト前ヒットになり同点、なおも二死一二塁。
必由館は二番手のサウスポーに交代するも守備は相変わらず済々黌シフト。
そこに、前打席で安打を放っている1番中川が、狙ってましたといわんばかりの早撃ちひっぱり打法がドンピシャリ。ライト線に深々ところがり、2点三塁打。
この後もタイムリーが続き、終わってみれば二死から4点奪取のビッグイニングとなった。済々黌シフトを逆手にとったあざやかな攻撃だったように思う。

試合後、同点打を放った中川選手にインタビューしてみた。
「あの場面、一二塁間、狙っていたの?」
「それは言えません!」


今日、高校野球を見に行ったって?

それは言えません!
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