本日、寄稿した原案が、熊日記者及び関係者の協力によって、無事、紙面化された。
その経緯を少し記録しておこうと思う。
私は、地元の地質調査会社に勤務していて、この業界団体の技術委員を昨年まで勤めていた。昨年、その団体の創立40年を記念して熊本県の地質を紹介する冊子を作ることになり、執筆陣の一人に選ばれた。
そして、その製作で私は、「熊本県の自然災害マップ」、「熊本県の地下資源マップ」、「付加体・鉱床形成の概念図」を手描きイラストで表現した。
昨年の11月の記念式典でお披露目があり、その後、県内自治体や学校に配布された。イラストについては業界の関係者から高い評価を得た。(夜なべで下書きを含め3ヶ月を要した作品だったので評価を得たときは嬉しかった。)
ただ、冊子の全体的出来映えの素人感は如何ともし難く、業界内における自画自賛の雰囲気には少なからず抵抗があった。
そこで、今後の展開に備え、「プロの目」による評価の必要性を感じた私は、古い友人の熊日の記者に、この冊子を送ったのだった。
友人は、当初より、この冊子の送付は紙上での紹介を目論んだものと合点したようだった。確かに、その目論みは、目的の20%はあったが、それはあくまでも友人の目にかなった場合に限る話であった。
ところが、暮れも差し迫ったある日のこと。携帯に友人とは別のK記者から連絡が入った。冊子についての取材だった。
私は作成者の一人に過ぎず、記念誌事業は団体主催であるので理事長への取材をお願いしたのだった。
ただ、その時の会話から察するに、K記者の頭の中には、うっすらではあるが当時から「ジオ・ドラマ」のイメージが湧いていたのではないだろうか。
「ひょっとしてブラタモリのようなお話しが沢山あるんじゃないですか」
「団体の技術者さん達から聞き出せば、腐るほど出てくるんじゃないっすかね〜」
腐るほどは言い過ぎかもしれないが、こんな会話をしたような気がするのだ。
そして、年が明けた1月13日に、記念誌の紹介記事が掲載されたのだ。
理事長が冊子を開いて微笑している写真付きで。
開かれたページは、イラストマップだった。
ほどなくして、「ジオ・ドラマ」の原案執筆者が団体から選抜され、テーマ選定の打合せやメールのやりとりの後、4月から金曜朝刊の科学面で「ジオ・ドラマ」はスタートしたのだった。
その経緯を少し記録しておこうと思う。
私は、地元の地質調査会社に勤務していて、この業界団体の技術委員を昨年まで勤めていた。昨年、その団体の創立40年を記念して熊本県の地質を紹介する冊子を作ることになり、執筆陣の一人に選ばれた。
そして、その製作で私は、「熊本県の自然災害マップ」、「熊本県の地下資源マップ」、「付加体・鉱床形成の概念図」を手描きイラストで表現した。
昨年の11月の記念式典でお披露目があり、その後、県内自治体や学校に配布された。イラストについては業界の関係者から高い評価を得た。(夜なべで下書きを含め3ヶ月を要した作品だったので評価を得たときは嬉しかった。)
ただ、冊子の全体的出来映えの素人感は如何ともし難く、業界内における自画自賛の雰囲気には少なからず抵抗があった。
そこで、今後の展開に備え、「プロの目」による評価の必要性を感じた私は、古い友人の熊日の記者に、この冊子を送ったのだった。
友人は、当初より、この冊子の送付は紙上での紹介を目論んだものと合点したようだった。確かに、その目論みは、目的の20%はあったが、それはあくまでも友人の目にかなった場合に限る話であった。
ところが、暮れも差し迫ったある日のこと。携帯に友人とは別のK記者から連絡が入った。冊子についての取材だった。
私は作成者の一人に過ぎず、記念誌事業は団体主催であるので理事長への取材をお願いしたのだった。
ただ、その時の会話から察するに、K記者の頭の中には、うっすらではあるが当時から「ジオ・ドラマ」のイメージが湧いていたのではないだろうか。
「ひょっとしてブラタモリのようなお話しが沢山あるんじゃないですか」
「団体の技術者さん達から聞き出せば、腐るほど出てくるんじゃないっすかね〜」
腐るほどは言い過ぎかもしれないが、こんな会話をしたような気がするのだ。
そして、年が明けた1月13日に、記念誌の紹介記事が掲載されたのだ。
理事長が冊子を開いて微笑している写真付きで。
開かれたページは、イラストマップだった。
ほどなくして、「ジオ・ドラマ」の原案執筆者が団体から選抜され、テーマ選定の打合せやメールのやりとりの後、4月から金曜朝刊の科学面で「ジオ・ドラマ」はスタートしたのだった。
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