NHKラジオ深夜便5月号の、「私のアート交遊録」に登場されている、コーディネーターの加藤タキさん(79歳)の対談記事に感動、勇気を貰いました。
1945年3月10日、東京大空襲から20日後に「ポンと生まれました。ビックリするのは、その時、父が
53歳、母が48歳だったこと。当時の平均寿命は、男女とも、50歳前後。その年齢にもかかわらず、新しい命を生み、育もうと想ったことに、両親の勇気と情熱と信念を強く感じます」と感謝されています。
ご両親は、過保護にならないよう、「勇気を持った子離れ」でタキさんを、自立した女性にお育てになり、
ご両親の生き方に大きく影響を受け、「母の言葉を胸に、前を向いていきる」と、79歳の今を、はつらつと
過ごされているお話しに、同世代の一人として、勇気と感動を頂きました。
お父様は、労働大臣をお務めになった加藤勘十さん、お母様は、女性解放運動家で、女性初の国会議員の、
加藤シヅエさん。
お父様のお仕事柄、外国のお客様の出入りが多かった家庭環境から、外国語を使う職業に就き、アメリカのタイム・ライフ誌に就職、「誰も教えてくれない、自分で考えるしかない」アメリカ社会で鍛えられた、とのことです。
その後、当時はまだ職種として確立していなかった、コーディネーターとなり、モンキーズやオードリー・ヘップバーンさんやフランク・シナトラさんなど、名だたる大スターの皆さんの公演に、正直、常に真心込めて、ファンとの間をとりもち、公演が問題無く終えられるように、潤滑油の役割、コーディネーターという仕事を確立したのです。今では、難民支援のボランティア活動にも力を注いでいらっしゃいます。
タキさんが、禁句にしているのが、
「だって、でも、どうせ」という、否定的な「3D」だそうです。
逆に、東日本大震災の時には、「できる人が、できることを、できるだけする」という肯定的な「3D」を知り、
否定的な「D」と肯定的な「D」では、生きる姿勢が変わってくるので、常に、ご自分に「言い聞かせている」
と、おっしゃっています。
傾聴ボランティアでも、否定的な「3D」は禁句なんですが、「でも」は、よく使います。肯定的に。
昔の苦労話で、失敗談が出てくることも多いのですが、「でも、失敗を、一生懸命努力され、乗り越えて来られたのですから、素晴らしいです、拍手です」と言うように。
お母様から頂いた、宝石のような言葉の数々、感動です。またの機会に紹介させて頂きます。
今日の、「キョウヨウ、キョウイク」は、無呼吸症候群の定期検診です。
ウォーキング中に出会った花。
5月16日「今日は何の日カレンダー」より 旅の日(芭蕉が「奥の細道」へ旅立った日を記念日に)
▲朝廷、武蔵国(現在の埼玉県)に高麗郡をおく(716)▲松尾芭蕉「奥の細道」へ旅立つ(1689)
▲ロシアに対する海防を説いた『海国兵談』が発禁となり、著者・林子平が禁錮に処される(1792)
▲東京・京都・奈良に帝国博物館設置(1889)▲ハリウッドで第一回アカデミー賞授賞式開催(1929)
▲日本、WHOに加盟(1949)▲中国で文化大革命、起こる(1966)
▲午前9時49分、十勝沖地震発生。死者・不明者52人、全壊家屋673戸(1968)
▲公衆電話が3分打ち切りに(1969)▲田部井淳子ら日本の女性登山隊初のエベレスト登頂に成功(1975)
▲オウム真理教教祖・麻原彰晃逮捕(1995) ▲天皇・皇后陛下、エリザベス女王在位60年祝賀で訪英(2012)
▲西城秀樹、歌手・俳優亡くなる(2018)▲フランス25代首相にエリザベット・ボルヌが就任(2022)