今日は、みどりの日。新緑の中を通ってきた風が爽やかです。まさに薫風です。
5月1日、2日に、NHKラジオ深夜便、「明日への言葉」で、浦田理恵さんのお話しに、爽やかな感動を頂きました。
浦田理恵さんは、ゴールボール女子日本代表で活躍されている、全盲のアスリートです。
北京、ロンドン、リオデジャネイロ、東京の、4回のパラリンピックで、ゴールボールのセンターとして活躍、ロンドンでは金メダル、東京では、銅メダルを獲得しました。
20歳の時、網膜色素変性症にかかり、両目を失明してしまった。
小学校の先生目指して、勉強していた時だったのです。娘が小学校の先生になることを楽しみにしていた、ご両親にも目が見えなくなっていくことを言えなかった苦しみ、打ち明けたとき、お母さんは、涙涙の毎日、
浦田理恵さんは、光を失ったばかりではなく、夢も希望も失ったのです。
それでも、「もう見えないふりをしなくてもよくなって、ホッとした」とおっしゃっていました。
お母さんが、「自分で出来ることを探そう。頑張ろう」と励ましてくれたけれど、1年半ほど、閉じこもり生活を送った、というのです。
NHKのニュースで、パラリンピックで活躍している、全盲のゴールボールの選手が輝いていることを知って、針灸マッサージの免許を取ろうと入所した視力センターのクラブ活動で、ゴールボールを始めたことが、日本のゴールボールの隆盛を支える、中心的な選手になったのです。
バスケットボールの大きさのボールの中に、鈴が入っていて、「耳で、ボールみる」3人対3人のスポーツ競技で、バウンドや、転がして、相手のゴール(サッカーのゴールみたいな)に入れた点数で勝ち負けが決まる。
浦田理恵さんは、目が見えた頃、スポーツセンスは良くなく、好きではなかったようですが、
「ミスは、ミスを無くすことが出来るチャンスがある。ミスには伸びしろある」と常に前向き、何事にも、ポジティブが大事と、自分も仲間の選手も、奮い立たせ、ロンドンパラリンピックで、日本初となる団体競技での金メダルを獲得したのです。
46歳になった現在、東京パラを最後に、現役を引退され、後進の指導に当たられていますが、全盲を克服してのトップアスリートとして、講演依頼が多く、お母さんが「自分で出来ることを探そう」との教えてくれ、支えてくれたことに感謝をされ、支えてくれた多くの方々に感謝され、「一歩踏み出す勇気」テーマの講演は、多くの方々、特に、障害を持つ皆様に、勇気と感動を与えていらっしゃいます。
感動ありがとうございます。今後とも、感動いただけるご活躍を楽しみにしています。
5月4日「今日は何の日カレンダー」より みどりの日(1989)、ラムネの日、ファミリーの日、競艇の日
▲藤原保則が陸奥の蝦夷制圧に出発(878)▲伏見城の天守閣、完成(1597)▲エブソムでダービー初開催(1780)
▲千葉勝五郎がラムネの製造販売許可を得る(1872)▲西郷従道と大久保利通の会見で台湾出兵が決まる(1874)
▲独・仏・露、三国干渉。政府が遼東半島の全面放棄を決める(1895)▲第一回全国中学校陸上競技選手権大会
開催(1919)▲プロ野球第一号本塁打(1936)▲TBSが外科医師の物 語「ベン・ケーシー」の放送を開始(1962)
▲堀江謙一、ヨットで世界一周に成功(1974)▲女性初のマナスル登頂に日本女性山岳隊が成功。女性で初めて
8000メートル以上の山征服(1974)▲サッチャー、英国史上初の女性首相に(1979)▲ソ連崩壊(1990)▲奈良県
で女子中学生殺人事件(1997)▲大阪ステーションシティオープン(2011)▲徳仁(なるひと)天皇即位後初の一般参賀(2019)