【2015年8月24日の記事に30歳の秋山和慶さんの画像を追加しました】
1971年の週刊誌から30歳の秋山和慶氏(1941年生まれ)が東京交響楽団を指揮するようすです(撮影・竹原伸治氏)。
記事のよると「目下、アメリカ交響楽団に招かれて、客演指揮中。昨年1月、ニューヨーク・カーネギーホールでの指揮ぶりにホレたアメリカ交響楽団が再び招いたものだ。」
若い頃から評価が高かったんですね。
さて秋山氏による、ブラスバンドで頑張る学生へのアドバイス、励ましの言葉が吹奏楽雑誌『バンドピープル』創刊号(1980年4月号)に載っていました。
その中から、秋山氏のホルンとの出会いについて書かれた部分です。
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ボク自身は、指揮者になろうと、桐朋学園高校に入学したんですが、井口基成先生から「指揮をやりたいなら、ピアノもやらなくちゃダメだし、オーケストラの楽器も何かマスターしろ!」と言われ、「弦楽器はもういっぱいだからダメだぞ。おまえ、何やりたい?」って聞かれたんですね。
前から音が柔らかくて、縁の下の力持ち的存在で、中音域で豊かな表現力があるホルンにあこがれていたから、すぐに「ホルンやります」って言ったんです。そのとき手にしたのは日管のピストンのFシングル・ホルンで、放課後毎日毎日、N響と芸術家協会のスタジオで、もう死にものぐるいになってレッスンしました。それでも1ヵ月ほどたつと、どうにか2オクターブは出るようになったかなあ。そしたらすぐ、オーケストラの練習に入れられちゃって、またまた必死になって......。でも、そうしてオーケストラの一員、100分の1にメンバーとして一緒にやれたことは、指揮者になった今でもずいぶん役に立ってますね。
ですから、桐朋学園大学に進んでからも指揮を勉強しながらホルンも続けました。小沢征爾さんなどと替る替る棒を振りながら、みんなで懸命に吹いていたことなんかを思い出します。
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。。。青春の思い出ですね。秋山さんはホルン相当ウマいんでしょうね!
「ボク自身は音楽に終点はない、死ぬまでやっていかなくちゃならないと思っています。アマチュアとはいえ、1度は音楽にふれたことがあるなら、どうにかしてそれを一生続けてほしい。なにもプロになることばかりが道じゃないし、ボクは指揮していてアマチュアもプロもなんら変わるところがないと感じます。『音楽する』意味ではなんでも全部同じなのです。」