三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

憲法守るべし 日本の知性が語る

2009年05月05日 11時09分11秒 | 平和
 おととい5月3日は第62回目の憲法記念日であった。日本の各地で日本国憲法を守ろうという集まりが開かれた。
 日本の知性を代表するといってもよい方々も多く参加し、憲法への思いを発言している。以下は、新聞に報道された発言のいくつかである。

ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんは、東京の集会で、
 「憲法九条改悪に向けた足音がしますが、彼等は必ずやけどをすると思っています。日本人の憲法九条に対する思いは軽くない。九条を変えますかといわれたら、やすやすと許さない。きょうはたくさんお運びいただき、自分の判断は間違っていないと実感しています。
 解釈改憲でソマリア沖まで行ったが、彼らは交戦権がほしいために憲法を変えなきゃいかんと思っている。今の保守政権も安泰ではない。だから今を憲法改悪の最後の決戦と心得ているかもしれない。だとしたら、われわれもそれに備えなければ。そういう状況を周辺の人に伝えてほしい。
 人類の歴史は確実に進歩しています。平和憲法の危機の問題でも、日本人は乗り越えなければいけません。私も老骨にむちうってがんばります。」

脚本家で演出家のジェームス三木さんは、名古屋の集会で
 「言葉というのは非常に曖昧です。そしていつの時代も政権は、情報をそのまま国民に伝えはしません。都合の悪いことを言い換えて本質を隠すのです。憲法も言葉で書いてある以上、本旨を歪めるような解釈もできます。『軍隊』を『自衛隊』と呼び海外派兵を繰り返すなど、国民をごまかすのです。それだけ歪められても、この憲法があるおかげで日本は外国人を戦争で一人も殺したことがない。これ以上の国際貢献はありません。
 人間は一人一人が歴史の中継ランナーです。「戦争をしません、軍隊を持ちません」と世界に約束している日本の憲法は、素晴らしいバトンです。なんとしても無傷で次世代に手渡さなければなりません。」
 
 と語っている。
 
 憲法を変えてもよいと思っている人がいれば聞きたい。
 憲法を変えて交戦権を持ち、殺されにいってもよい、銃をとって敵を殺してもよいと思うのは、あなたか、またはあなたの息子か、孫か。
 あるいは誰かが行くだろうと思うのか。
 アメリカの場合はどうなっているか、ご存知か。
 岩波新書「ルポ 貧困大国アメリカ」(著者堤 未果さん)に詳しい。
 アメリカが法的には一応徴兵制をなくした後、どういう人が、どういう階層の人が、どんな教育を受けて戦争させられているのか知っておくのもよいだろう。

 

 

5日のオバマ演説に

2009年04月06日 10時20分28秒 | 平和
 オバマ氏は、5日 チェコの首都プラハで核軍縮について演説した。
その中で、広島・長崎への原爆投下を指す「核を使用した唯一の保有国としての道義的責任」にふれ、「核のない、平和で安全な世界を米国が追求していくことを明確に宣言する」と述べた。

「核を使用した唯一の保有国としての道義的責任」という言葉はすごい。
歴代のアメリカ首脳は誰も言ったことはない。
ほぼ全ての日本人がこの言葉を待っていたと言ってよい。
自分たちが大量に持ちながら他の国に対し、核兵器を持つなと言ったって誰が聞くものか。
特にこれから世界に向けて国威を発揚し、世界の主要国に仲間入りをしようと思っている発展途上国にとってくそ食らえだろう。北朝鮮しかり。

「唯一の被爆国」として「唯一の使用国」にその「同義的責任」を追及してこなかったばかりか、追随してきた日本と言う国。世界で甘く見られ、馬鹿にされて当然だろう。

おまけに、5日、自民党の中川昭一という前財務相が北朝鮮のロケット発射に、関して記者団の質問に答え「発射基地にどう打撃を与えるのか核兵器の運搬システムが完成するのであればどう対抗するのか。議論の一つに核に関する議論があってもいい」と答えたという。2006年にも同じような発言をし、ひんしゅくを買っている。この人、持論が核武装容認らしい。ほんとに馬鹿と言うほかない。
同じ日本人として恥ずかしい。

日本には憲法第9条がある。
それを前面に押したて、核廃絶のために世界をリードしなければならぬ。


戦争で死ぬ若者 アメリカ

2009年04月01日 22時28分45秒 | 平和


先日短いがベトナムへ旅した。
あらためてベトナム戦争とはなんだったのか。
考えさせられた。
ベトナムは緑も水も日の光も豊かで人々はやさしい。
この国をあれほど無残に破壊し、蹂躙しつくしたアメリカという国と、その国の若者たち。
今またイラクで。
「殺せ!殺せ!殺せ!」と徹底的にたたきこまれたアメリカの若者たち。
命令どおりに殺した。
生きのびて帰還した彼らが気づいたのは、殺した相手は実は自分たちと同じ人間だったのだということ。
家族も、恋人も、友人もいる自分たちと同じ人間だったということに気付く。
大勢の帰還兵が自殺し、PTSDに苦しみ、人間性を剥奪されて生ける屍となっているものも多数いる。

次に紹介するのは3月30日付毎日新聞コラム「発信箱」である。
イラクで今行われていることはなにか。
読んでみる価値はあると思う。

  「発信箱」  脱走兵と反戦歌 福島良典

 黒人男性のアンドレ・シェパードさん(31)は6年前、米オハイオ州でホームレス生活を送っていた。
コンピューター工学を修めたが、バブル崩壊で定職に就けずにいた。
 声をかけたのが米軍だった。「テロにおびえ、抑圧された世界の人々を救うため、君が必要だ」。安定した収入、無料の住居、医療保険、奨学金--軍の担当者が提示した待遇はまぶしかった。
 「より良い暮らし」を渇望していたシェパードさんはドイツ駐留米軍に配属後、イラクに。だが、そこで会ったイラク人の顔には解放の歓喜でなく、米軍への恐怖と怒りがみなぎっていた。
 帰還後、再びイラク行きの命令を受け、「不当な戦争にこれ以上かかわれない」と腹を決め、基地を後にした。欧州連合(EU)の亡命・難民受け入れの法律に基づき、ドイツへの政治亡命を申請中だ。
 「戦争が好きな国民はいない。戦争したがるのは政府だけだ」。そう語る彼を平和団体は支援するが、祖国の退役軍人からは脱走に「裏切り者」「弱虫」と批判も出る。
 2度の大戦で焦土と化し、反戦世論に火のつきやすい欧州と、「軍事が文化の一部」(シェパードさん)の米国。軍や戦争に対する国民の距離感は大西洋の両岸で異なる。
 フランスの作家・歌手、ボリス・ビアン(1920~59年)の反戦歌「脱走兵」の一節にある。「服従を拒め。戦争に行くな。出征を拒否せよ。血を流すなら、大統領閣下、あなたの血を」
 フランスでは6月、ビアン没後50年を記念するアルバムが発売される。「脱走兵」も入る予定だ。半世紀後の今もイラク、アフガニスタンで武装勢力との戦争が続く。ビアンの歌詞はさびつかない。
(ブリュッセル支局)



「イラク国民のお別れのキスだ。犬め。」

2008年12月18日 10時27分38秒 | 平和
昨夜テレビを見ていて、14日のブッシュ米大統領への現地記者の靴投げつけ事件で、当たらなかったのは残念と思っている人が日本にはかなりいるということがよくわかりました。
しかし、なかなかいいコントロールしていました。
「イラク国民のお別れのキスだ。犬め。」と。 
ブッシュ氏はよく避けたと思いますね。

ブッシュ政権が対テロとの闘いだ、と不確かな情報にもとづきづかづかと他国に入り込み、
非戦闘員多数を殺し、筆舌に尽くしがたいほどの大きな災厄をもたらした。
イラク国民、アラブ世界の尊厳を踏みにじった罪は大きい。

大事なことは、日本が今どちらの側に立っているかだ。
日本に向かって投げつけられた靴であると言えなくもない。

昨日、日本の自衛隊は、撤収の儀式を行った。が、ブッシュ政権に同調し、支援する体制に変わりはない。



わだつみの像

2008年12月15日 19時10分29秒 | 平和


 はめ込まれた銅製のプレートには以下のように書かれている。


未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある。
その尊い未来と生命を聖戦という美名の名のもとに奪い去られた青年學徒の
 なげきと怒りともだえを象徴するのがこの像である。
 本郷新氏の制作。
  なげけるか いかれるか はた もだせるか
  きけ はてしなき わだつみのこえ
 この戦歿学生記念像は廣く世にわだつみの像として知られている。
     一九五三年一二月八日     立命館大学総長 末川 博 しるす


 行かなければならないと思いつつ、近畿に住んでいながら初めて訪れた。
 立命館大学の平和ミュージアムである。  
 そして見なければならなかった「わだつみの像」。
 1950年完成したこの像、当初は東大に設置される予定であったが、東大当局は拒否した。
 それを立命館大学末川博総長が立命館大学に建立した。
 東大という大学のお粗末ぶりはこの像とともに永遠に伝えられるだろうし、
 平和ミュージアムは立命館大学の誇りといってよいであろう。

 ちなみに先日亡くなった加藤周一氏はこの平和ミュージアムの初代館長である。
 
                 
 

1945年8月15日

2008年08月15日 12時00分51秒 | 平和
  浮浪兒晝寢す「なんでもいいやい知らねえやい」 中村草田男 1049年

「・・・ このセリフによって浮浪児の有り様がよく表現されている。この時代はまだ浮浪児がいたのである。貧しい時代であった。現代はどうか。確かに浮浪児はいない。社会全体は豊かになっているのだろう。しかし、と思う。大人や子供の内面は逆に孤独感は強まっているのではないか。「なんでもいいやい知らねえやい」と発するこの浮浪児がむしろ建康的に見えてくるのは私だけだろうか。もちろん浮浪児を生みだすような社会は御免であるが・・・。内面も外面も建康である社会というのは来るのであろうか。・・・」

「中村草田男を読む」 田中空音
 中村草田男の全句集の中から田中空音が選んで鑑賞したもの。

 紅蓮の焔のなかを逃げまどった記憶の中から思うと私は浮浪児であっても不思議はない。
 闇市と焼け跡と浮浪児。
 飢えの時代にはいる。まだ戦争中の方が食料はましだったような気がする。
 浮浪児というような言葉自体が風化していってるようだ。
  
 今日は終戦の日。 


原爆忌

2008年08月09日 20時22分20秒 | 平和
原爆の日の洗面に顔浸けて    平野青塔

詠み書きて過ぐ原爆忌の砂よ   平野青塔

年々に詠みてなほ詠む原爆忌   下村ひろし
 
向日葵が花頭捧ぐる原爆忌    榎本冬一郎
 
日に透ける鶏冠血の色原爆忌   大橋敦子


今日は長崎原爆忌。
広島、長崎あわせて死者30数万。


核兵器は廃絶されることだけに意義がある

2008年08月07日 16時55分28秒 | 平和
8月6日 広島平和記念式典 
「平和宣言」 広島秋葉忠利市長

「 平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡に、63年前がそのまま蘇る8月6日が巡ってきました。「水を下さい」「助けてください」「お母ちゃん」・・・被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを誰にもさせない」ための決意を新たにする日です。
 しかし、被爆者の心身を今なお苛む原爆の影響は長年にわたり過小評価され、未だに被害者の全貌は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2カ年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。
 そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生まれた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みが私たちに教えてくれるはずです。   ・・・抜粋 」
 
福田首相挨拶一部
 
 本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申しあげます。
 また被爆により、苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を充実してまいります。

 福田さんよ、ほんとかよ。
 米原潜ヒューストンの漏水による放射能漏れ。ハワイで定期点検中の7月後半あきらかになった。漏水は数ヶ月にわたっていた可能性があるという。ヒューストンは3月12日沖縄県うるま市ホワイトビーチ沖に停泊、佐世保には3月27日から4月2日まで停泊。米政府から漏水の連絡が入ったのは今月1日だという。ところが高村外相がこのことを知ったのは米CNNテレビの報道によってであった。それで高村外相が公表を指示したのだという。
 非核三原則はどうなったのだ。核兵器は積んでいるに決まっているというのが普通の見方だ。それが漏水しつつ、日本の基地を移動していても首相は何も知らされていない。外相も知らない。外務省役人の思い上がりぶりは目に余るのではないか。これで非核三原則は堅持していると言えるのか。 
 日本の横須賀を母港とする予定の空母ジョージ・ワシントンはつい先日の5月に火災を発生させた。それでも日本の政府は何も言えず。
 このような政府や役人の姿勢、さらに被爆者援護法の欺瞞、被爆者は救われるのか。恒久平和の実現のために国際社会の先頭にたてるのか。  
 
 
 
 

にんげんをかえせ

2008年08月06日 08時33分18秒 | 平和
人間をかえせ
峠 三吉(「原爆詩集」による)

  序

ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

  八月六日

あの閃光がわすれえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿(のうしょう)を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれて筏へ這いより折り重なった河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光の中に
下敷きのまま生きた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠(へいきしょう)の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分からぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで金ダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
あのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩(がんか)が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!



「原爆小景」より
           原 民喜
  水ヲ下サイ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー
天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ

北の犠牲者

2008年06月25日 21時48分31秒 | 平和

宗谷です。

沖縄で多くの民間人が殺されたことの記念の式典が23日にあった。
この北の果てのさらに北に樺太が天気が良ければ見えるそうだが、この日は晴れていたが見えなかった。
そこでも多くの民間人が犠牲になっている。

電話の交換手の若い女性たちが、情報を一番よく知る立場にあるとして自決した。
これは戦争終結後、8月15日以後の出来事。
稚内にその碑が立っている。

南と北の果ての犠牲者たちよ。 
今の日本人は平和はまもりうるだろうか。
教えてくれ。




殺せと命じ、死ねと命じたものがいた

2008年03月30日 10時28分24秒 | 平和
一昨日の、「沖縄ノート訴訟」判決はごく当たり前の常識が反映されたものといえる。大江健三郎氏の勝訴を喜ぶ。

人を殺せと命じ、死ねと命じ、大勢の者が死んだ。
しかし、死ねといった覚えはない。勝手に国に殉じて死んだのだという。
百姓が、漁師が、職人が、商いをしていた者が軍人だと言われ、「軍人勅諭」というようなものを与えられ、戦場に連れて行かれ、戦争させられた。この者たちの命など「鴻毛の軽きに等しく」といって虫けらのように死なされた。
もっとも戦争で勇ましく戦ったものはほんの一握り、殆どは物資の補給を絶たれ、餓死していったという。
何が「鴻毛の軽きに等しく」か、家族にとって、愛するものにとって、軍人などではなく日本の市井に生きるものとしては地球より重い価値の命であった。

そういう「戦争」の最もひどい地獄に沖縄の人々はいた。
銃後を守るといって非戦闘員、年寄り、女、子ども、障害を持つものの命ももっと軽く扱われ、死んでいった。

いよいよ戦況が絶望的になると「捕虜になるな」と「生きて虜囚の辱めを受けるな」と手榴弾を渡された。
追いつめられて、手榴弾を爆発させて自決した。
そのときの日本軍の指揮官が「自決を命じた覚えはない」と言ったってそれはないだろう。沖縄の民衆が怒るのは当たり前だ。
しかし、文科省はそういう風に言ってる人がいるので教科書には軍の命令で自決させられたと書くのはよくないと教科書を書き換えさせた。

なぜか、どこかにかつての歴史的事実が明らかにされたくない人々がいる。その圧力を受けて文科省が、日本の政府が歴史を改竄しようとする。
南京事件では「大虐殺はなかった」、「従軍慰安婦問題」では「日本軍が強制した証拠はない」など侵略戦争と日本軍の蛮行を正当化する動きと軌を一にし、集団自決を「美しい殉国死」とまで教科書に書きたかったのだ。

この裁判を原告側で支援してきたのは「新しい歴史教科書つくる会」の藤岡信勝会長が主宰する「自由主義史観研究会」。学者とも言えない権力側に買われた狗というほかない連中だが。
さらには日本の侵略戦争を正当化する「靖国派」と呼ばれる政治家たちである。
憲法を変えて日本を戦争できる国にしたいという人々と合致する。

それにしても、係争中の裁判の一方の側の主張を根拠に教科書の検定意見をつけるという文科省、この愚かさには怒りを通り越して悲しくなってくる。


『国民の記憶として沖縄戦』を

2008年01月01日 16時35分23秒 | 平和

 『毎日新聞』は12月30日付で、社説で第二次大戦の沖縄戦での強制自決の教科書記述に関する政治的圧力による検定意見とこれを撤回させる運動や世論についての一連の問題について『毎日新聞』の受け止め、各新聞社の受け止めにについて総括、整理した。大事な資料でもあると思うので書きとめておきたいと思う。 部分であるが転載をさせていただく。
 
 各紙社説はどう受け止めたか。
 
 毎日は、軍関与をはっきりさせる記述や背景説明が増えたことに「一歩踏み込んだともいえる」と評価する。しかし「強制」表現の排除には「軍と住民との間の根底にあった強制的関係、絶対的な上下関係をきちんととらえたものとはいい難い」と、沖縄戦全体の中で選択肢を奪われた住民が置かれた立場、状況の視点が足りないことを挙げた。東京も「『強制』という言葉を用いずに悲劇の本質を伝えることはできるのか」と指摘した。

 朝日は、手投げ弾配布や壕(ごう)追い出しなどをした軍の関与が集団自決が起きた状況の主な要因とする検定審見解を「多くの人が納得できるものだろう」と評価した。しかし、「強制した」というような直接的表現を認めなかったことには「疑問がある」とした。
 読売と産経は今回の「修正」を教科書検定制度を損ねかねない問題として強く批判した。

 読売は、軍が「自決しなさい」と住民に手投げ弾を渡したという記述について「根拠となった住民の証言の信頼性を疑問視する研究者もいる」と指摘。検定済み教科書にこのような訂正申請が「なし崩し的に」認められたら「政治的思惑によって、教科書検定制度そのものが揺らいでいくことにもなりかねない」と論及した。

 産経は、異例の再審議が行われたのは沖縄県議会の撤回要求や県民集会などのためとし「事実上の“二重検定”であり、それ自体、検定制度を逸脱している疑いが強い」と主張。「これでは、検定は何だったのかとの疑問を指摘されてもやむを得まい」「検定に対する不服申し立てを一部でも認めるような誤った対応を、二度と繰り返してはならない」とした。

  ◇次代へ、どうつなぐ

  沖縄県の2大地域紙、琉球新報と沖縄タイムスも今回の結果に強く反論した。それは、読売や産経の論点とは異なり、「強制」という表現が退けられたこと、当初の検定意見が結局撤回されなかったことに対してである。

  新報は「『集団自決』の現場にいながら命拾いをした多くの体験者らがこれまで『軍の強制』を証言してきた。その事実を検定審が一つ一つ丹念に検証した形跡はない」と指摘。「そのことを抜きに『軍の直接的な命令』を示す根拠はないと断定することに、果たして正当性があるだろうか」と問いかける。そして「文科省や検定審は現地での聞き取りなど、幅広い調査を」と実証の姿勢を求め、一方で県民にも「中途半端な解決では後世に禍根を残すことにもなりかねない。史実を後世に伝えるのは県民の責務であることを再確認したい」と呼びかけて結ぶ。

  タイムスは27、28両日にわたり社説を掲載した。「この一連の経過を通して見え隠れするのは『できれば日本軍という主語を消したい』『日本軍と集団自決の関係をあいまいにしたい』という背後の意思である」。そして沖縄と本土の間に「深い溝」をみる。  「沖縄戦における『集団自決』や『日本軍による住民殺害』の体験は、沖縄の人たちにとっては琴線に触れる『土地の記憶』であるが、『国民の記憶』と呼べるものにはなっていない。広島、長崎の被爆体験は『土地の記憶』であると同時に、『国民の記憶』にもなっている。だが、沖縄の地上戦体験は『土地の記憶』にはなっているが、『国民の記憶』になっているとは言い切れない」

  「本土紙」がなかなか持てない、あるいは見落としがちな視点だ。両紙は次代への継承を大きな課題、義務として挙げた。

  やはりというべきか。『産経新聞』、『読売新聞』の立場である。 日本の政・官・財・学の右翼的・反動的潮流のプロパガンダの面目躍如か。 週刊誌も含めマスコミ各社の姿勢は絶望的な状況にあると言わざるを得ない。 テレビが意外にまともなことを言ってるるかも知れない。顔をさらした状態では国民の意向に逆らう勇気がないということであろう。

 


12月8日という日

2007年12月08日 09時12分25秒 | 平和
 真珠湾攻撃
 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)は、日本時間1941年12月8日未明(ハワイ現地時間12月7日)に日本海軍がハワイオアフ島真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊と航空基地に対して行った奇襲攻撃のこと。世界史的にはこの攻撃によって太平洋戦争(大東亜戦争)が始まる。
 日本はあの絶望的な太平洋戦争(当時の日本の呼称大東亜戦争)に突入する。また第二次世界大戦は、ヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。
 しかし、それ以前から 1931年の満州事変、日中戦争とあって、1945年のポツダム宣言受諾による無条件降伏に至るまでの約15年間にわたる戦争を、総称して十五年戦争と呼ぶ。
 この言い方は、満州事変以後繰り返された日中衝突及び太平洋戦争までの戦争は連続した日本による侵略戦争であるということを否定したい人々の反発もあるようだが、あったことをなかったことにしようとしても無理だろう。
 心に刻んでおくべき日だと思っている。





歴史 心に刻みつづけること

2007年10月21日 20時34分12秒 | 平和


 昨夜、NHK衛星第2放送で映画「ヒトラー最後の12日間~」が放映された。以前から話題になっていたようだが、映画を見なくなって久しいので初めて見た。すごい映画だと思った。 是非、再放送されればよいがと思う。 この映画は、ユンゲ・トラウデルという女性が書いた記録『私はヒトラーの秘書だった』という書物の映画化である。 検索してみると(まえがき・楽天ブックスの紹介など)

 《 ユンゲ,トラウデル(Junge,Traudl) 1920年、ミュンヘン生まれ。1942年末から45年までアドルフ・ヒトラーの秘書を務める。戦後、一時ソ連の収容所に送られたのちは、『クイック』誌の編集長付秘書などの仕事を経てフリー・ジャーナリストとなる。2002年2月11日、ガンのため死去。
  ヒトラーが自殺するまでの二年半のあいだ、独裁者のお気に入り秘書として働いていた女性が、ヒトラーの素顔や側近たちとの交流、そして独裁者が愛した平凡な日常をありのままに書き記した貴重な記録! 》
だそうである。
 映画の最後でユンゲ氏自身がインタビュウで言っている。 『あの当時私は若かったから、よくわからなかったという言い訳をすることはできません。よく目を開いて見ておかなければならなかった。後であのようなことがおこっていたということを知った』というような意味のことを話していた。  このシーンを見ていてすぐに思い出したのは元西ドイツ大統領ヴァイツデッカーの1985年5月8日の演説(『荒れ野の40年』岩波ブックレット)である。その一節、
 《 人間の罪には、露見したものもあれば、隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きて来た方がた、その人たちは今日、一人びとりが自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
 今日の人口の大部分はあの当時子供だったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない犯罪に対して自らの罪を告白することはできません。 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る質素な荒布の服を身にまとうのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。 
 罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。 
 心に刻み続けることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのです。     問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり,起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。 》  

 
 過去を心に刻み続けること。このことである。 日本には今、「後になって過去を変えたり」「起こらなかったこと」にしたい人たちがいる。政治家や教育行政に携わる政府高官は何を意図しているのか。 
 かつて第1次世界大戦に敗れたドイツがその歴史に学ぼうとせず、誤った歴史を若者に教え、それがひいてはヒトラーの台頭をゆるしたという二重の過ち。 
 映画の中で、ドイツ軍の将軍たちが国民の悲惨な状況について語る時「自業自得だ。彼らが選んだのだ」という場面が二度ほどある。 
 我々もまた、正しい歴史を学び、それを心に刻もうとしなければ再び悲惨な状況が待っているのではないか。 沖縄の、南京の、従軍慰安婦その他の、歴史を歪めてはならない。
  「自業自得だ。彼らが選んだのだ」と後世の者に言われぬために。 
 高校日本史教科書からの、「沖縄『集団自決』日本軍強制の削除」は、許すことのできない大きな問題である。

 


第二次世界大戦

2007年08月15日 21時17分21秒 | 平和
   第二次世界大戦等の戦争犠牲者数
 第二次世界大戦が終わって62年、この愚かさを記憶していなければならない。

 第二次世界大戦での主な国の犠牲者数 いろんなところから拝借しました。          

   国  名     兵  員  の     一般市民の
           死  亡   行方不明  死   亡
   アメリカ     407,828      ―      ―
   イギリス     353,652    90,844    60,595
   フランス     166,195      ―    174,620
   ポーランド            (6,000,000)     
   ソ  連            (20,000,000)     
   中  国            (10,000,000)     
   ド イ ツ    2,100,000   2,900,000    500,000
   イタリア     389,000    214,647    179,803

   日  本   約2,300,000           約800,000 (単位 人)

     日本の兵員のうち、朝鮮・台湾の兵員犠牲者、約5万人を含む。
                           
 日本軍は、首都の南京占領にあたっては、婦女子を含む多数の中国人を殺害し、諸外国に報じられて非難された。

 ドイツは、…ユダヤ民族の絶滅をめざして強制収容所に連行し、…600万人といわれるユダヤ人を殺害。

 朝鮮から約70万人、中国から約4万人を強制的に日本へ連行して鉱山や工場などで働かせた。

 1945年3月、東京は焼夷弾による無差別爆撃を受け、…一夜で約10万人が犠牲になった。

 連合軍は、1945年3月に沖縄に上陸…。本土防衛のためとして、沖縄では中学生から女学生までを動員して…にげまどう住民をまきこんで…スパイの疑いで日本軍に殺されたり、集団自決をせまられた人々もいた。犠牲者数は、…軍人・軍属(ひめゆり部隊や健児隊に動員された中学生・女学生も含む)に住民を合わせて、
当時の県の人口約42万人のうち12万人以上と推定されている。

 原子爆弾…多数の一般市民が犠牲になりました。その人数は数週間のうちに広島で14万人、長崎で7万人にのぼる。
 約60万人の日本兵が捕虜としてシベリアに長期間抑留され、強制労働によって多くの犠牲者が出た。
 当時、海外に配置された日本軍は約355万人で、主要な戦場であった満州には約67万人が、中国本土には112万人がいた。

 この大戦は全世界で約6000万人、アジアで約2000万人にのぼる犠牲者を出し、特に一般市民の犠牲が多数…。