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裏山の やま桜です。
満開です。
流感でくたばっている間に満開となっていました。
湯の少女 臍すこやかに 山ざくら 飯田隆太
ニセ科学と大リーガー
『毎日新聞』2月14日 コラム「発信箱」本日は元村有希子氏。
日本人がニセ科学に踊らされる様子をニューヨーク・タイムズにからかわれるのは、些か片腹痛いという思いがするが、元村有希子氏の指摘は当然であろう。「あるある大辞典」の例もある。
以下元村氏のコラム。
「O型大リーガー」
松坂大輔選手がボストン・レッドソックスへの移籍を決めた時、米ニューヨーク・タイムズが「O型の日本人大リーガーと変な科学」という読み物を載せた。
いわく、日本人で最も多い血液型はA型なのに、松坂選手のほか松井秀喜、松井稼頭央、井口資仁の各選手も0型である。そして「日本では、マクドナルドでテリヤキバーガを頼むのと同じぐらい(これは誤解)血液型で人格を予想することが普通」と続く。ちなみに野茂英雄選手やイチロー選手はB型、新庄剛志選手はA型だ。例外も無視できない。
もとより、血液型と性格の関係に科学的根拠はない。「O型の選手は大リーガーとして成功する」という説はウソである。
本紙科学面の連載「理系白書」は、こうした「ニセ科学」を取り上げ、どう付き合えばいいかを考えている。反響の中には「ニセか科学と決めつけるなら、ニセ科学であることを証明すべきだ」という意見も少なくない。
ほとんどの場合、それは不可能だ。なぜなら、提唱者が実験の手法もデータも公開せず、恣意的に導いた結論を公表することが多いからだ。科学的な実験をしているかも不明だ。
科学的であるということは「提唱者が実証し、同じ条件なら誰がやっても同じ結果が出る」こと。それができないものは科学と呼ばれない。
これが[ニセ科学」の分かりやすい見分け方である。
(環境科学部)
「納豆騒動のからくり」というタイトルで、今日の『毎日新聞』コラム「発信箱」は、環境科学部元村有希子記者が書いている。一読されてはどうか。
【 「納豆騒動のからくり」 元村有希子
騙されるなという方が無理だろう。納豆騒動、ふたを開ければ巧妙なおぜん立てのドラマだった。
まず役者がそろっている。主役は納豆という健康食品の優等生。一般人男女が食べて見せ、採血の結果は「中性脂肪が減った」。米国人の学者が「ダイエットにいい」と太鼓判を押した。
舞台も申し分ない。優良企業がスポンサーを務める人気番組である。納豆を買いに走った視聴者は、いわば集団催眠にかかったようなものだ。
内容に客観性と説得力を持たせたいとき、科学的手法はかっこうの演出になる。同じ条件なら、誰がやっても同じ結果が出るのが科学の前提だ。だから信用される。今回は実験そのものがねつ造だったわけで、科学への信頼が悪用された。
製作会社は2年前にも、他局の番組で花粉症に関するデータをねつ造していた。番組打ち切りまで経験しながら、科学的な手法を使えば信頼度が増すことを知っていて繰り返した。二度あることは三度あるという。社内調査では、過去もちゃんと調べてほしい。
科学者ももっと怒っていい。番組には計3人の研究者が出演し、結果的にねつ造の片棒を担いだ。取材を受けた日本人研究者は「全体の構成までは知らされていなかった」という。科学者の地位も悪用された。
これでもかと効能をアピールする健康情報番組が国民からまゆつばものと思われているならいいが、商品が店頭から消える事態を見ると心配になる。「科学の演出」が必要なら、一方で「まゆつば」度を星の数で示すぐらいの節度があってもいいと思う。 (環境科学部)】
冷静に見たいものだ。
『朝日新聞』金融情報欄 コラム「経済気象台」
梅田望夫氏の「ウエブ進化論」が話題だ。
書かれていることを十分に理解しているかと問われるとすこぶる心もとないが、もやもやとしつつも何か根本的に違う常識が動きつつあるとの印象が強い。一気に読んだあと、強迫観念にせかされるように、たくさんの人に勧めている。
その違う常識がWEB2・0という概念で集約されるようだ。これがまた分かりにくいのだが、具体的な事例を見るとうなずけるのものもある。
たとえば「ウイキペディア」。小生も大変重宝させてもらっているが、なぜこのようなものが作られ得るのか。これまでの常識では説明不能だ。英語版の130万項目を筆頭に、200以上の言語で総項目数480万もの事典ができ上がっているという。執筆者は各分野の権威というわけではない、基本的には無償のボランティアだ。自分の知りたいことや知ってもらいたいことを調べて、その結果を人の役に立たせることが動機という。そうだとすればすごいとではないだろうか。同じようなことはリナックスというOSが作られる過程でも見られた。あのような膨大なプログラムが多くの一般有志によって開発されることは、当時の常識では考えられなかった。それが今や、ネットワーク用のサーバーのOSとして、またPDAや携帯電話などのOSとして多用されるまでになっている。
時あたかも団塊世代の退職がはじまっている。最近退職した人たちと接すると、時間の過ごし方に悪戦苦闘している人が多いようだ。この人たちが持っている識見をウイキペディアやリナックスのようなモデルで活用できれば、大きな社会資産になるに違いない。
会社という組織形態にかかわらず、個々人の自発的・主体的な言動が総体として社会的な価値を生み出すーー。そんなしくみが動き始めたのかも知れない。(照)
9月1日付の『朝日新聞』です。「もやもやとしつつも何か根本的に違う常識が動きつつあるとの印象が強い」。
ビギナーであるが、そんな気がする。やっとパソコンをまともに使おうという機運が高まったのか、団塊の世代の出番かなと思える。
(照)氏は、もっと手練れなんだろうけど。
安倍譲二という作家がいます。
『男の条件』(ゴマ書房)という本の中で、次のようなことを書いています。
「昭和のバカな軍人と政治家どもが愚劣極まりない戦争をはじめ、日本を焼け野原にしてしまった。…」
今はその日本も今日のような状況に立て直した。と述べ、そのことについて次のように言う。
「焼け野原をそうしたのは、天皇でもなければ、横綱でも王・長嶋でもない。まして、タレントや芸能人なんかでは断じてない。
工員たちをはじめとする勤め人、つまり月給取りがそうした。
この焼け野原からの復興は、万里の長城をつくった中国人、ピラミッドをつくったエジプト人以上に、世界史に特筆されるべき奇跡だと私は思う。だから、日本のサラリーマンというのは、じつに世界史的存在ですらあるのだ。
彼らは長い間、五百円亭主といわれてきた。垢抜けないダークスーツを着て、一年中満員電車に揺られて家と会社を往復する月給運び人。その彼らの昼食代、タバコ代、床屋代、赤提灯代、全部ひっくるめて一日平均五百円というのが五百円亭主のそもそもの語源だ。
現在だって、彼らは二千円亭主がやっとではないだろうか。経済大国といわれながら、その主たる支え手たちは信じられないほどの悪条件の中で、今日も黙って働いているのだ。
誤解されると困るからいっておくが、私はゴロツキのころでも、そうして真面目に働く人たちを軽蔑したことはなかった。口にしないまでも、心の中では尊敬の念で一杯だった。
そういう真面目なサラリーマンの方たちをバカにするという、とんでもない風潮がある。いや、真面目そのものがネクラとバカにされるそうだが、とんでもない世の中になったものだ。真面目にやらなきゃ、ヤクザだってモノにならないというのに。(以下略)」
安倍さんもご存じなのでしょうが、 そのひたすら真面目に働いてきたサラリーマン、定年を迎えます。リストラで既に辞めさせられた人もいるでしょう。
その人たちはいま、退職金は削られ、年金は減らされ、医療も介護も改悪され、悲惨な老後が待っています。ゼロ金利のおかげでなけなしの貯金も増えていません。
安倍氏の言う世界史的存在を遇するにはあまりにひどい政策ではないですか。
労働者をバカにする。これが小泉流「改革」「規制緩和」です。
〇七年問題と言われるように退職者が増えますが、まだまだ体力、気力、知力、衰えていないと思います。腹立つこと、許せぬこと、あいつに言いたいということなど積極的に発言し、関わっていってくれることを期待します。
踏んだり蹴ったりとかイジメとかにはずいぶん耐えてきたので打たれ強いのです。しぶとく生き抜きましょう。