『朝日新聞』に「特派員メモ」という海外特派員のコラム
があります。9月1日はベルリン支局、能登智彦氏が書いています。
「隣人の気配り」
この夏、休暇で留守にしたマンションに戻ると、隣室に住む年配の男性から「家を空ける時はちゃんと教えろ」とおしかりを受けた。
記録的な猛暑でわが家のベランダの鉢植えの花が枯れそうになり、ホースをのばして外から水をやってくれたのだという。春先にもベランダにおいた巣箱の餌が足りないと指摘され「こちらで補充しておいた」と注意された。自然志向のドイツ人としては、生き物に関する出来事となると見過ごせないようだ。
「次に不在になるのはいつだ」。その後、折に触れ詰問される。しかめっ面で声も大きいので怒られる気分だが、日本のマンション暮らしでは隣人の顔もしらなかった身としては、そのきちょうめんな気配りには感心させられる。
ドイツ人は私生活への干渉を極力避ける。だが決して無関心ではない。地域住民として心にとめてくれているその実感に安らぎを覚えた。
でも考えてみればとなりの男性から花の世話を頼まれる可能性もあるわけだ。夜ベランダをのぞき百科事典で種類を調べておいた。何日かすると隣が留守だ。出番かと覗いて見ると水やりはすんでいた。上階の人が頼まれたらしい。ひとまずほっとした。信頼を勝ち得るには時間がかかりそうだ。(能登智彦)
干渉はしないが、無関心ではない。ということ。
近所付き合いのあれこれがわずらわしい。とくに歳を取るとそんな気になってくる。「老人会」などというのまである。
高齢化社会で暮らしていく知恵として「干渉はしないが、無関心ではない」ということは大事なことではないんだろうか。
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