三流読書人

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鬼ヶ島の鬼退治  辰野和男著『文章の書き方』(岩波新書)から

2004年12月13日 14時21分22秒 | 教育 
 『朝日新聞』のコラム「天声人語」の元筆者辰野和男氏の著書。わかりやすい文章を書くために、日頃から心がけることとして、「文は心である」ことを強調するとともに、読む人の側に立つこと、細部へのこだわり、先入観の恐ろしさ等を丁寧に説く。面白いと思った部分を紹介します。
 以下引用。
 「福沢諭吉にこんな愉快な文章があります。声を出して読んでみませんか。
 『もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことにならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべきわるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゞさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。』
 幼い自分の子どもにあてた「ひゞのおしへ」の一節です。論旨は明快です。桃太郎は英雄だという通説に対して『もゝたろふはひれつせんばんなり』と異をとなえてているところがおもしろい。世の通説を常に疑ってみる心が必要なんだよと、子どもにいいきかせているのでしょう。
 さらにいえば、諭吉は当時、外国人をいたずらに敵視する攘夷論との闘いを続けていました。暗殺の危険のなかで生きていました。だから、鬼イコール悪者という図式、鬼に対しては何をしても許されるのだという単純な考え方が、たとえそれがおとぎ話の世界であっても、我慢ならなかったのでしょう。」
 どうでしょうか。退治する者と退治される者、その必然性。考えこんでしまいました。
 


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