駄獣の群 与謝野晶子
ああ、此国の
怖るべく且つ醜き
議会の心理を知らずして
衆議院の建物を見上ぐる勿れ。
禍なるかな、
此処に入る者は悉く変性す。
たとへば悪貨の多き国に入れば
大英国の金貨も
七日にて鑢にて削り取られ
其正しき目方を減ずる如く、一たび此門を跨げば
良心と、徳と、理性との平衡を失はずして
人は此処に在り難し。
見よ、此処は最も無智なる、
最も悖徳なる、はた最も卑劣無作法なる
野人本位を以て
人の価価を 最も粗悪に平均する処なり。
此処に在る者は
民衆を代表せずして
私党を樹て、
人類の愛を思はずして
動物的利己を計り、
公論の代りに
私語と怒号と罵声とを交換す。
此処にして彼等の勝つは
固より正義にも、
聡明にも 大胆にも、雄弁にもあらず、
唯だ彼等互に
阿附し、
模倣し、
妥協し、
屈従して、
政権と黄金とを荷ふ
多数の駄獣と
みづから変性するにあり。
彼等を選挙したるは誰か、
彼等を寛容しつつあるのは誰か。
此国の憲法は
彼等を逐ふ力無し、
まして選挙権なき
われわれ大多数の
貧しき平民の力にては……
かくしつつ、年毎に、
われわれの正義と愛、
われわれの血と汗、われわれの自由と幸福は
最も醜き
彼等駄獣の群に
寝藁の如く踏みにじらるる……
この詩を与謝野晶子が読売新聞紙上に発表したのは1915年12月である。
祖母のこの詩を与謝野馨氏はどう読んでいるのか。
また、国民はどう読むか。
「此国の憲法は彼等を逐ふ力無し、まして選挙権なきわれわれ大多数の貧しき平民の力にては・・・」という時代ではない。憲法は国民主権をうたい、これら駄獣を葬り去ることはわれらの手にゆだねられている。
「最も無智なる、最も悖徳なる、はた最も卑劣無作法なる野人」によって「われわれの正義と愛、われわれの血と汗、われわれの自由と幸福は最も醜き彼等駄獣の群に寝藁の如く踏みにじらるる・・」時代ではない。すくなくとも権利の上では。
おそらく与謝野晶子 今日にあれば、彼ら駄獣のほしいままを赦す国民にむしろ怒りを向けるのではないか。
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