伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

朝ドラ「スカーレット」が終わってしまった

2020年03月28日 | ドラマ
 朝ドラを見るようになって何年経つのだろう。
 岩手を舞台にした「どんと晴れ」、震災も描いた「あまちゃん」、地方からの集団就職者が金の卵と言われた時代の「ひよっこ」、100作記念でアニメーターとなる女性をヒロインとした「なつぞら」。パッと思い浮かぶのがこれらの作品だが、戦争の時代を背景にした「純情きらり」や「カーネーション」等々、自衛隊の海外派遣の拡大が進められる現代において、戦争の現実を描く気骨を感じる作品もあったことも思い出す。

 スカーレットは戦後から始まるが、戦後の貧しい時代から、高度経済成長を経てバブル経済崩壊前の1987(昭和62)年までを描いた。

 前半は、少女から中学生、卒業後の就職、そして陶芸にたどり着くまでの変化の大きい時代を、熱気と秘めた家族愛に彩られたドタバタを背景に足早に描いていたが、陶芸家になり、家族を持ってからは、ヒロイン・喜美子と家族や周囲の人々とのエピソードを淡々と重ね、ある意味地味な展開の中でも心にしみいるものを残してくれた。

 特に最終回に向けては「生きる」をテーマに描いたという。白血病を患った息子・武志がどうなるのか。史実に基づくと、母が骨髄バンク創設の運動に取り組むものの、ドナーは現われず、似たタイプの叔母から骨髄移植を受けた後、再発し、帰らぬ人になったという。ドラマでは、恋人の真奈との関係も気にかかる。できれば最終回まで、生き抜いて、最終回後のドラマの展開は余韻の中で想像させて欲しい。そんな思いで、ドラマの進展を見守っていた。

 ほぼ望みがかかったストーリー展開となった。
 琵琶湖にみんなで出かけて終わった昨日のストーリー。琵琶湖畔で始まった最終回は、武志と真奈が仲むつまじく、楽しそうに並んで歩く場面を重ね、作陶する武志、そして、ギューッと抱きしめる喜美子を重ね、苦しいよと、喜びも感じるその抱擁から逃げ出そうとする武志を重ねた。場面は2年後に移り、武志は26歳を前にして旅だったと伝え、1人で暮らす喜美子と周辺の人々との日常、そして新たな作品を作り上げる穴窯に向かい、炎に染められた喜美子のストップモーションでドラマは終わった。

 「生きる」がテーマの終盤。病気と闘い、いつ閉じるとも分からない自分の命。その中でも、作陶に取り組み、恋人との時間を過ごし、周辺の人たちと時間を共有する、武志の普通の若者と同じいつもの生活があった。武志の死の後にも、それまでと変わらないいつもと同じ日々が喜美子には待っていた。
 「いつもと変わらない一日は、特別の一日」。前日のジョージ富士川のワークショップで、そう書いた武志の言葉が、実は「生きる」の意味だったのかもしれない。「いつもの一日」は「特別の一日」。その「特別の一日」の積み重ねが「生きる」ということ。人の一生の長さにかかわらず、「特別の一日」を積み重ねるように過ごすこと。それがそれぞれの人が「生きる」ことだと伝えたかったのだろう。

 これを書きながらも、ドラマを思い出すと、こみ上げる感じがある。まだ「スカーレット」の世界から抜け出せない自分の「特別の一日」を過ごしているようだ。
 ドラマの続きを見たいとは思わない。このドラマは、一つの完成した世界観を見せてくれたと思う。

 半年間の放送、撮影はたぶん1年ほどかけているだろう。この作品を世に送り出してくれたみなさんに感謝したい。


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