この記事に心をひかれ読んでみました、
サンデー毎日2016年1月3-10日新春合併号の「名曲対談」です。
なかにし礼さんと徳光和夫さんによる対談で、「歌謡曲とは平和の歌である」がタイトルです。
なかにし礼さんが歌謡曲の作詞をしていたことは知っていました。そのなかにしさんが作詞家・作家生活50週年を記念して、「なかにし礼と75人の名歌手たち」というCDをリリースしたといいます。
徳光さんがこう問いかける。
「女性の気持ちを書いた詩が多いですね。意識的になさったことですか。」
なかにしさんが答える。
「自分をどんどん否定して、透明で崇高な存在になるまで筆を執らないんでおくんです。両性具有的な僕に残っている思いは、女性的な恋愛に託したほうが言葉にしやすい。」
その思いとは。
「戦争体験ですよ。戦争を体験した自分を無視して書いても、事故表現として半分にもみたない作品になる。」「戦争に放浪された人生です。この喜怒哀楽を人にわかってもらうのは簡単ではない。しかし女性の恋愛に置き換えてみると、別離の苦しみや喪失の悲しみが強い言葉で書けるんです。」
確かになかにしさんは、戦争に反対する言葉を履き続けてきた記憶があります。
ネットで検索してみました。
集団的自衛権の行使容認が閣議決定された時、なかにしさんは「詩を書いてくれませんか」と依頼され、「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」という詩を書きました。その時の言葉は、「僕自身も泣きながら、ですから。日本がこんな国になってしまって悲しくて仕方ない。特定秘密保護法を先につくって、次は集団的自衛権。『戦争だから』と自由に発言できない時代はすぐそこです」だったといいます。
なかにしさんは、「終戦から69年。戦争を知らないどころか平和を満喫して生きてきた若い世代は、まさに平和の申し子です。草食系男子? 国を滅ぼすマッチョな男よりずっといい。心優しき彼らこそ平和を守ることができる。そんな彼らがいてくれることを僕は心強く思います。若者を『戦争を知らない』とか『無関心だ』とか批判するのは間違っている。僕たち戦争体験者は、若い世代とともに闘うための言葉を自ら探さなければいけません」と、若者たちと平和のためにたたかうことを呼びかけたといいます。
またこんなことも言っています。
「第2次安倍政権は、日本の歴史上、類を見ないほど、政治の上でルール違反を犯しています。安倍さんの時代になり戦前の日本が唱えていた国家主義のようなものが突然、言い出され始めた。政治が迷路というか、悪路に入り込んでいる」
「戦争は人間の存在を根底から覆す、いろんな場面を人間に教える。だから戦争を知らないといけない。逆に、知らない人はいじっちゃいけない」
「日本は、戦争を知らない政治家がトップにいる。戦争を知らないで、今、戦争を画策するような法律をいじっているわけで、本当に危険です。まして、憲法解釈、解釈改憲なんてのは最悪。作家の大岡昇平が言ったように『戦争を知らない人間は半分は子供である』(「野火」より)ですよ」
満州で生まれ、日本に引き上げる辛苦を体験したからこそ、今の時代に声を上げなければならないと考えていらっしゃるのでしょう。
戦争の体験から生み出された名曲の数々を納めたのがこのCDということらしい。
なかにしさんはこう言う。
「僕の50年という集大成を見せることで、その背景に広がる戦後70年を思い出してもらいたい。」「日本が戦争をしなかったという一点は、世界のどこに出しても恥ずかしくない、とても貴重なことなんです。」
なるほど、そんな思いを込めてCDを編んできたのか。
サンデー毎日の記事はこう結んでいます。
なかにし 第九は19世紀初頭に書かれた名作ですが、一世紀の時を超えて、EUが「欧州の歌」として選んだ曲です。かつて敵国として陰惨を極めた戦いをした国どうしが、いま平和の理念を掲げて連合し、その象徴として第九を採用した。ここにはヨーロッパの反省がある。理想は崩壊するかもしれない。しかし平和に向けてEUが第一歩を踏み込んだという事実を大切にしたい。同じ時代に日本は何をしているか。ナショナリズムや排外主義に傾き、憲法9条を捨て、戦争のできる国になろうとしている。人間が人間であるためには、平和主義であらねばならないとぼくは思うんです。
徳光 平和であるということは、歓喜ですものね。
なかにし そう。戦争に勝つことなど歓喜ではない。敵も見方もなく抱き合うことこそが歓喜でしょう。それが皆さんに伝わることを願っています。
う~ん。こうした思いに学び、共有していきたいですね。
サンデー毎日2016年1月3-10日新春合併号の「名曲対談」です。
なかにし礼さんと徳光和夫さんによる対談で、「歌謡曲とは平和の歌である」がタイトルです。
なかにし礼さんが歌謡曲の作詞をしていたことは知っていました。そのなかにしさんが作詞家・作家生活50週年を記念して、「なかにし礼と75人の名歌手たち」というCDをリリースしたといいます。
徳光さんがこう問いかける。
「女性の気持ちを書いた詩が多いですね。意識的になさったことですか。」
なかにしさんが答える。
「自分をどんどん否定して、透明で崇高な存在になるまで筆を執らないんでおくんです。両性具有的な僕に残っている思いは、女性的な恋愛に託したほうが言葉にしやすい。」
その思いとは。
「戦争体験ですよ。戦争を体験した自分を無視して書いても、事故表現として半分にもみたない作品になる。」「戦争に放浪された人生です。この喜怒哀楽を人にわかってもらうのは簡単ではない。しかし女性の恋愛に置き換えてみると、別離の苦しみや喪失の悲しみが強い言葉で書けるんです。」
確かになかにしさんは、戦争に反対する言葉を履き続けてきた記憶があります。
ネットで検索してみました。
集団的自衛権の行使容認が閣議決定された時、なかにしさんは「詩を書いてくれませんか」と依頼され、「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」という詩を書きました。その時の言葉は、「僕自身も泣きながら、ですから。日本がこんな国になってしまって悲しくて仕方ない。特定秘密保護法を先につくって、次は集団的自衛権。『戦争だから』と自由に発言できない時代はすぐそこです」だったといいます。
なかにしさんは、「終戦から69年。戦争を知らないどころか平和を満喫して生きてきた若い世代は、まさに平和の申し子です。草食系男子? 国を滅ぼすマッチョな男よりずっといい。心優しき彼らこそ平和を守ることができる。そんな彼らがいてくれることを僕は心強く思います。若者を『戦争を知らない』とか『無関心だ』とか批判するのは間違っている。僕たち戦争体験者は、若い世代とともに闘うための言葉を自ら探さなければいけません」と、若者たちと平和のためにたたかうことを呼びかけたといいます。
参照:ブログ「みんな楽しくHappy♡がいい♪」
またこんなことも言っています。
「第2次安倍政権は、日本の歴史上、類を見ないほど、政治の上でルール違反を犯しています。安倍さんの時代になり戦前の日本が唱えていた国家主義のようなものが突然、言い出され始めた。政治が迷路というか、悪路に入り込んでいる」
「戦争は人間の存在を根底から覆す、いろんな場面を人間に教える。だから戦争を知らないといけない。逆に、知らない人はいじっちゃいけない」
「日本は、戦争を知らない政治家がトップにいる。戦争を知らないで、今、戦争を画策するような法律をいじっているわけで、本当に危険です。まして、憲法解釈、解釈改憲なんてのは最悪。作家の大岡昇平が言ったように『戦争を知らない人間は半分は子供である』(「野火」より)ですよ」
満州で生まれ、日本に引き上げる辛苦を体験したからこそ、今の時代に声を上げなければならないと考えていらっしゃるのでしょう。
戦争の体験から生み出された名曲の数々を納めたのがこのCDということらしい。
なかにしさんはこう言う。
「僕の50年という集大成を見せることで、その背景に広がる戦後70年を思い出してもらいたい。」「日本が戦争をしなかったという一点は、世界のどこに出しても恥ずかしくない、とても貴重なことなんです。」
なるほど、そんな思いを込めてCDを編んできたのか。
サンデー毎日の記事はこう結んでいます。
なかにし 第九は19世紀初頭に書かれた名作ですが、一世紀の時を超えて、EUが「欧州の歌」として選んだ曲です。かつて敵国として陰惨を極めた戦いをした国どうしが、いま平和の理念を掲げて連合し、その象徴として第九を採用した。ここにはヨーロッパの反省がある。理想は崩壊するかもしれない。しかし平和に向けてEUが第一歩を踏み込んだという事実を大切にしたい。同じ時代に日本は何をしているか。ナショナリズムや排外主義に傾き、憲法9条を捨て、戦争のできる国になろうとしている。人間が人間であるためには、平和主義であらねばならないとぼくは思うんです。
徳光 平和であるということは、歓喜ですものね。
なかにし そう。戦争に勝つことなど歓喜ではない。敵も見方もなく抱き合うことこそが歓喜でしょう。それが皆さんに伝わることを願っています。
う~ん。こうした思いに学び、共有していきたいですね。
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