小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

2017-10-28 01:40:02 | クラシック音楽
去る10月20日に行われたイーヴォ・ポゴレリッチのピアノ・リサイタルは忘れ難い内容だった。ここのところ、毎年のように来日してくれるポゴレリッチだが、今年は特に大きな変化を感じた。極端に遅いテンポで前半だけで一時間半をかけることはなくなったし、鍵盤を力任せにぶっ叩くことも少なくなった。昔からのファンなので、このピアニストが何をやろうと肯定的な感想を持とうとしてきたが、やはり何度かは…不可解な演奏会もあった。しかし最近のポゴレリッチはだいぶ理解可能な音楽を奏でてくれるようになり、予定調和に収まるものではないが、非常に「音楽的」な演奏になっている。

雨続きで足元が悪い夜だったが、サントリーホールは結構埋まっている。消して安価なリサイタルではないのに、このエキセントリックなピアニストにたくさんの人たちが関心を持って要ることに嬉しい驚きを感じた。190cmの大柄なポゴレリッチはいつものように譜めくりの女性を伴って現れ、これもまたいつものように譜面をばさっと床に置いた。
一曲目のクレメンティ「ソナチネ ヘ長調Op.36-4」を聴いて「あっ」と思った。なんとも懐かしい曲である。ピアノ初心者が「ソナチネ・アルバム」で練習する曲で、私もこの曲をよく練習し、小学二年のときに発表会で弾いた。ポゴレリッチはグローブのような大きな手でこれを見事に演奏し、雅やかなオーケストラのようなサウンドを響かせた。
次のハイドン「ピアノ・ソナタ ニ長調Hob.ⅩⅥ:37」も懐かしい曲。これは小学六年生のときの発表会で弾いたことがある。右手のパッセージが左手に移るところで大変な苦労をした。ポゴレリッチは全く別の曲のように弾く。注意してみると、右手と左手に微妙な速度の揺らぎを加えていて、その絶妙なフラクタル感がオーケストラのような響きに繋がっていた。
しかし、なぜこの曲を弾くのか…鬼才ポゴレリッチも子供時代はこの曲から始めたのだろう。彼の心の中で、何か回帰のようなものが行われていたのかも知れない。
前半最後の曲はベートーヴェンの「熱情ソナタ」で、リストを弾くようなダイナミック超絶技巧だった。テクニカルな面での凄味を感じた。ポゴレリッチは本当に「うまい」のだ。技術面での水準が高く、それをいかようにも使える演奏家であることを再発見した。

そもそもなぜ自分はポゴレリッチのファンであったか…ショパンコンクールで型破りの演奏をして予選落ちをしたのに、そのことで逆に世界的な人気ピアニストになった。ロック・スピリットの持ち主で、80年代から90年代にかけてグラモフォンからリリースされたCDには彼でしか弾けないユニークな解釈の演奏がみっしり詰まっていた。22歳で、43歳の自分のピアノの先生と結婚した。彼の表現と人生のすべてが興味深く、注目せずにはいられなかったのだ。
ポゴレリッチはいつも平然としている。彼がステージで泡を食っている姿を一度も見たことがない。何かを諦めているようでもあり、達観したムードを漂わせているが、同時に非常にエレガントでもあった。2005年に久々に日本で復帰コンサートを行ったときは、火星の音楽のようだ…と思った。喜怒哀楽のカラフルなスペクトルの外にある、黒いタールのようなサウンドで、それは全く地球的ではなかったのだ。

後半のショパンの「バラード第3番」は魔術的で、つい数日前に同じサントリーでプレスラーがこれを弾いたことを思い出したが、同じ曲とは思えなかった。やはりショパンでは、ポゴレリッチの異形さがギラギラ光る。水の精オンディーヌへの憧れというより、ポゴレリッチ自身が旅人を迷わす水の魔王という雰囲気だった。どんなに激しい打鍵にも、裏側に恐ろしいほどの静寂を感じる。リストの『超絶技巧練習曲』からの3曲…第10番ヘ短調、第8番「狩」、第5番「鬼火」は、ポゴレリッチが世界でも指折りのヴィルトゥオーゾであり、リストの名人であることを証明する演奏だった。マルク=アンドレ・アムランも狂気のヴィルトゥオーゾだが、この二人はいい勝負だと思った。文学的な感興というより、鋭い詩の感覚があり、揺るぎない「ポゴレリッチ言語」を聴き取ったリストだった。

最後はラヴェルの「ラ・ヴァルス」で、このプログラムは見事に優等生的な曲順で、古典・ロマン派・印象派と続いていることに気づく。ラ・ヴァルスの始まりは、万物創生の混沌の泥を思わせる不穏な響きで、一瞬何の曲が始まるのかわからなくなったほどだった。ラヴェルの殺人的なグリッサンドが、拷問のように何度も繰り返され、ポゴレリッチの強靭な指の下の鍵盤たちが血みどろの悲鳴をあげていた。テンポは遅めだが、穏当といえば穏当。しかし、タッチの奇矯さにおいてこれは「ポゴレリッチ健在」とうならずにはいられなかった。まったく文学的ではない、贅肉のような形容詞を寄せ付けないドライアイスのような音楽…。
なんの拍子か、その平然とした演奏の裏側から「僕のお母さんはどこ!?」という小さな男の子の叫びが聴こえたような気がした。
まったく音楽とは関係ないようで、関係があった。クレメンティとハイドンは小さな少年が弾いていた曲であったはずだ。そこで、10歳か11歳で家族と離れてモスクワ音楽院に入学したポゴレリッチの少年時代、師アリスとの結婚、妻の死後長く続いた精神の病のことが大きな波のように覆いかぶさってきた。
「私は音楽のなかでお母さんを探しているのです」なんて、ポゴレリッチは間違っても言わないが、私はそれを感じた。

アンコールの二曲目は、ポゴレリッチがお気に入りのショパンのノクターンop.62-2で、いつも以上に秘めた悲劇性が脈打っていた。この日は彼のバースデイだったので、入口ではサプライズで「ハッピーバースデイ」を歌う内容のプリントが配られていたが、後ろの席のお客さんが「このショパンのあとでは、ハッピーバースデーはないほうがいいのでは?」と話していて、私もそう思った。
ワゴンでケーキが運ばれてきて、やはり予定通りみんなで大合唱をした瞬間、ポゴレリッチの顔が薔薇色に染まり嬉しそうな微笑みがこぼれた。そうか、これでいいのだ。人は愛されるために生まれてきた…天秤座は「愛される」という意味の星座なのだ。ポゴレリッチもまた、大勢のお客さんに愛されていた。






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