小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京文化会館プラチナ・シリーズ フランチェスコ・メーリ

2021-02-14 14:30:24 | クラシック音楽

2/13に行われたフランチェスコ・メーリのテノール・リサイタル。東京文化会館小ホールの649席の630席以上は埋まっていたと思う。空席が数えるほどしか見当たらず、ホールの中にこれだけ人が集まっている様子は久々に見たような気がする。十日前まで新国『トスカ』でカヴァラドッシを歌っていたメーリは、リサイタルでは要所要所で眼鏡をかけて、40歳という年齢よりも年上に見えた。前半は歌曲。ロッシーニ「音楽の夜会」より「約束」から歌い始めた。小ホールで聴くメーリの声は余りにゴージャスで、四方八方の壁や床が、空間に収まり切らないスケールの声を受け止めて振動していた。

冒頭のロッシーニから浅野菜生子さんのピアノが深遠な表現で、一音一音が胸をうつ意味深い響きであることに驚愕した。歌手や音楽のことを本当によく理解している方だと直観で思った。プロとしてのストイックな鍛錬は勿論、歌手とともに時間を生きることの本質を表せる方なのだ。来日不可能となったダヴィデ・カヴァッリの演奏も聴いてみたかったが、メーリと浅野さんの共演が叶ったことで別の幸福が生まれていた。

歌曲とオペラを歌い明解に歌い分けている、という感触はあまりなかったが、メーリの友人であるルイージ・マイオが作曲した世界初演『アルケミケランジョレスカ~ミケランジェロの火、風、地、水の詩によせて~』は、メーリの新しい創作への好奇心と「役になる」オペラ歌手とは別の表情が見えた。現代音楽的というのでもなく、曲には温かみが感じられ調性も生きている。ここでも浅野さんのピアノは素晴らしく、譜面に書かれた考古学的な(?)謎を引き出すような多彩な表情を見せた。
この後に歌われたトスティの「最後の歌」「理想の人」「君なんかもう愛していない」「魅惑」「夢」では歌手の本質的な魅力が爆発。時が満ちて「いよいよ」という空気感が漲った。柔軟性のある歌唱と輝かしい響きが聴衆を魅了し、何もないはずの舞台にイタリアの豊かな自然のパノラマが広がるようだった。

「花は見られるために咲く」のだ。音楽家と聴衆はふたつでひとつの存在であり、片方が欠けている状態は虚しい。欧州の多くの劇場やコンサートホールが休業状態の現在、舞台に上がることが出来なくなった演奏家やダンサーの無念はいかばかりかと思う。メーリの美声に血が燃え上がるような心地がしたので、こんなに昂揚するのはよくないことなのではないか…と一瞬罪悪感のようなものが湧いた。開演に遅刻して、ホールの外で聴いているときの疎外感なども思い出し、ここにいられることは幸福で、すぐそこにいる歌手の存在を全身で受け止めていることか奇跡に感じられた。メーリのほうでも、大きな幸福感を感じている…歌から毎秒ごとに伝わってくる。

後半の一曲目はマスネ『マノン』の「目を閉じれば」で、デ・グリューに変身したメーリは、最後の一音を惜しむように長く長くフェルマータして、自らの呼気をホールの空気に溶かしていた。フランス語も素晴らしい。



ヴェルディ『ルイーザ・ミラー』ジョルダーノ『フェドーラ』と続き、どんどんメーリの現在の声にフィットした歌に近づいてくる。本編の最後は先日オペラの舞台で歌った『トスカ』の「星は光りぬ」。ピアノがいよいよ超絶的な表現で、オーケストラとは別次元の作曲家の神髄に迫っていた。テノール独唱が始まる前の情景から丁寧に演奏され、カヴァラドッシが処刑されるサンタンジェロ城の寒々とした空気さえ伝わってきた。メーリは浅野さんのピアノに心底魅了されて、感謝して歌っていたと思う。

前半の歌曲がスピーディに進行し、後半も曲数があまり多くないのでリサイタルは早めに終了するのかと思っていたら、ここからが第三部だった。デ・クルティス「忘れな草」トスティ「暁は光から闇をへだて」とアンコールが続き、『愛の妙薬』の「人知れぬ涙」のイントロでは、この日詰め寄せた成熟した聴衆からなんとも言えない嬉しさを感じる拍手が巻き起こった。メーリのネモリーノは深刻さの中に、コミカルな含蓄が感じられる。レオンカヴァッロ「マッティナータ (朝の歌)」トスティ「かわいい口元」と続き(メーリによる弾き語りも)このあたりで終わるのではないかと思われたが、レハールの『ほほえみの国』より「君はわが心のすべて」が続いた。以前、大ホールで行われたレオ・ヌッチのアンコールが凄すぎて度肝を抜かれたことがあったが、テノールのリサイタルでもこんな奇跡が起こる。
「カタリ・カタリ」「オー・ソレ・ミオ」が勢いよく続く。イタリアのテノールとはこういうことなのか…底知れぬ人間ジュークボックスで、掘れども掘れども歌が溢れ出してくる。

全身全霊の本編の後に、『トスカ』の「妙なる調和」のイントロがピアノからこぼれたときは、このリサイタルが常軌を逸したものであると再認識した。メーリは音楽の神なのか。あんな大変な歌が、すべて喜びの表現だった。アンコール10曲目は『椿姫』の2幕のアルフレートの「燃える心を」で、スタンディングと着席を何度も何度も繰り返した客席は、ほぼカオス状態の熱狂に包まれていた。すべてのアンコールに最高の演奏で応えたピアニストも凄い。実際メーリは浅野さんのピアノに敬意を表するジェスチャーを何度も繰り返し、カンツォーネの前奏で拍手が鳴り響くと「シーッ」と注意し、「この素晴らしいピアノを静かに聴くんだ!」という仕草をしていた。

15時にスタートしたリサイタルの終演は17時半。何度も何度もステージに引き戻されたメーリの顔は、最後はオペラの英雄でも色男でもなく…私の目にはイタリア人にさえ見えなかった。国籍も地上の年齢も関係ない。聴衆に与えて、与えて、与え続けることを喜びとする、善なる魂そのものだった。










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