鴨長明「方丈記」7回目の今日は《庵暮らしの楽しさの巻》
俗事に気ぜわしい世間の暮らしに比べて、世を捨てた庵の暮らしが
どんなにのどかで平和であるか、事細かに述べている。
長明にとって出家遁世は真に仏道の修行だったのか?
『寄居(かむな→やどかり)は小さき貝を好む。これ事知れるによりてなり。
みさごは荒磯にゐる。すなはち人をおそるるがゆゑなり。われまたかくのごとし。』
(訳→やどかりは小さい貝を選んで住む。そのほうが安全だからである。
鳥のみさごは波の荒い海岸に居る。それは人間を恐れているからだ。私も又そうである。)
「当時の人々にとっては、仏道修行して往生を遂げることが人生で最も重要とされていたのだが、
長明の場合は仏道修行のためというより、世間が怖いから逃げてきたとも言えるのではないか。
それはこの一文に表れている。」
と先生はおっしゃいます。
すると生徒のひとり(男性)が、
「自分は長明を尊敬します。ストレスにさらされた社会で長明のように生きることは憧れです。」
と言ってました。
う~む。
その気持ちはよ~く解ります。
世のしがらみから脱けられたら、そりゃあ楽でしょうな~。
だけど、孤独に耐えられない私には遁世なんてムリだわ~。