今日はお寺の永代経法要の日。お斎のお手伝いに行きました。
料理は昔から慣れた方がして下さるので、私たちは参拝者のお接待です。
お寺で頂くお斎って、質素なのにとっても美味しいんですよ。なぜなんでしょうね。
午後は、お勤めと、布教使のお坊さんのご法話です。というより漫談です。
私たちを見回し、
「若いきれいな方だったら見とれて話が出来んけど、今日はよかったあ!オバタリアンばっかりで~。」
と、おっしゃるので、もう爆笑です。
「人間の死亡率は100パーセント。おしめで始まり、おしめで終わる。これがホントのおしめぇ~だ。やがて焼かれて灰になる。ハイ、それまでヨ。
お骨になるんです。ほんなコツ。」
「おじいちゃんは大切です。おじいちゃんがおったら家の中が明るいです。禿げた頭が L E D 」
「桃栗3年、柿8年、隣のバアチャン あと1年」
とまあ、綾小路きみまろも顔負けの話術です。
ですが、時折大事なお話も挟みます。
「あなたがくだらないと思った一日は、昨日亡くなった人が生きたいと思った一日です。」
「昨今はお通夜の時から遺産争いが起きてます。遺産は奪い合い、位牌は譲り合い。だから遺産は遺したらイカン。
念仏を遺しましょう。念仏に税金は掛からん。“子に遺す 最後の宝 お念仏”」
「人間というものは、会話の中で自分が期待している返事が欲しいものです。それを察して応えるのが情というもの。
理屈で返してはいけない。言葉のキャッチボールが大切です。」
「念仏を唱えるというのは、あみだ様が寄り添ってくれるということ。人間はひとりではない。」
「眠れぬ夜を嘆く人は多いけど、目覚めた朝に感謝する人は少ない」
「歳を取ったら毎日がボーナスである。自分がここにいる、という有り難いことに感謝の気持ちを表してお念仏を唱えましょう。
それが、永く永くお寺を、そしてご先祖をお守りしていくということです。」
永代経の本来の意味はそこにある。と、ご住職さんのお話もありまして、楽しい有意義な時間でした。 合掌。
ご本堂に見事なタペストリーが飾られています。門徒さんがパッチワークで作られたものです。畳1.5畳くらいの大きな作品でした。