▲相変わらず暑い日が続くが、気のせいか秋らしい雲になってきた気もします.
千葉県市川市でグレープの「精霊流し」と出会う
昭和49年の春。高校を卒業し、芸大油画科を目指した美術部の仲良し3人組は、上京して美大予備校に通うために、僕以外はそれぞれ一人暮らしを始めた。
K君とT君は、二人とも埼玉県の南浦和に自炊のアパートを借り、僕は1年間だけ千葉県の市川市内にあるアパートを借りて、当時女子大の4年生になっていた姉と二人で住むことになった。
アパートにはお風呂が無く、洗面器や石けんやシャンプー、タオルに着替えを抱え、近くの銭湯に通った。
がぐや姫というフォークグループの歌う「神田川」の歌詞そのものの時代だった。
高校生になって、僕は美術部に入部するが、2年生になった頃、フォークやロックが大好きな同学年の部員が数人入部し、美術部の部室では、毎日のようにギターの音と歌声が絶えることが無かった。
僕は、彼らの演奏や歌声を通して間接的に、たくさんの歌手やグループや歌を知った。そして僕も彼らと一緒に吉田拓郎の「結婚しようよ」や泉谷しげるの「春夏秋冬」や曲名は忘れたけど、フォークソングのたくさんの曲を大きな声で歌った。
それは、みんなで歌う楽しさもあったけど、僕達の心情や主張、立場を代弁していて、共感するものが多い歌詞を声に出す気持ちの良さがあったように思う。
一方で、家に帰れば、中学生の頃から好きだったサイモン&ガーファンクルや、姉の影響で好きになったカーペンターズ、妹の影響でかぐや姫などを聴きいていた。
そして高校を卒業し、市川駅の南側の江戸川に近い住宅地に立つ古い木造2階建てのアパートでは、テレビだけでなく、ラジオをよく聴くようになっていた。
その年のいつだったか、ラジオから流れて来た初めて聞く歌にショックを受けた。
グレープというフォークデュオの歌った「精霊流し」という歌だった。
「男がこんな歌を歌っている。こんなやさしい歌を男が作り、人前で歌っていいのだ」と思った。
もちろん反感ではない。その後、精霊流しを作詞作曲したさだまさしに対してよく言われた女々しいということも一切思わなかった。すんなり、自分の中に受け止められた。
自分にとっては今までのどの歌とも違う、一言で言えば、出会いを感じてしまった。
姉の情報によれば、この歌を作り歌っているさだまさしという人は、自分と同じ市川市に住んでいるということだった。
だからという訳ではなく翌年も同じ市川市に住み、同じ予備校に通った。
姉は卒業し、熊本に帰った。僕は他の仲良し3人組と同じように、一人暮らしを始めた。つまり仲良し3人組はそろって2浪することになったのだ。
市川市に住まず、仲良し3人組そろって南浦和に住むことも出来たが、私は東京都から江戸川を渡った途端に緑が多くなる市川市が気に入ってしまった。今度のアパートは、6帖一間で共同便所の西側の部屋だった。夏は西日が強烈だったが、窓から見える大きな松林がよかった。その松林をオナガがギィーギィー鳴きながら飛び渡っていた。そしてバイトしたお金で初めて自分のギターを買った。
グレープは、私達兄弟のお気に入りになり、特に上の妹と姉は熱烈なファンになっていった。しかし、また1年が過ぎ、3浪が決まった1976年の春にグレープは解散してしまった。
(2012.9.14)