雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

木蓮

2014年03月14日 | ポエム
 木蓮


暗い暗い灰色の

曇天に咲く

白く白く輝く

木蓮の花

僕らの心の

希望のように

いいえ

僕の在り方を示すように

(2014.3.13)
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陽炎(かげろう)

2014年03月11日 | ポエム


 陽炎(かげろう)


真夏の太陽に焼かれた

アスファルトの道の

ゆらゆらと揺れる

陽炎の向こう側に

少年の日の私が見える

(2012.8.17)
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若葉のころ

2014年03月06日 | ポエム


 若葉のころ


雨上がりの四月の朝に

生まれたばかりの一枚の木の葉が

初めての朝日を浴びている

一枚の木の葉の新しい物語が始まる

パレットに出したばかりの絵の具のように
(2012.4.26)
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チキチキバンバン号の翼と象の耳当て

2014年03月03日 | エッセイ


 チキチキバンバン号の翼と象の耳当て

 立春を過ぎて、やや暖かくなりそうな傾向があったのに、2月は2週続けて、日本中が大雪に見舞われた。熊本の阿蘇山でも30センチから60センチの雪が積もり、高地を走るJR九州の豊肥本線も長い時間不通となった。豊肥本線の北側を走る久大本線では雪の重みで折れた線路脇の木に列車が乗り上げて転覆した他、豪華さを誇るクルーズトレイン「ななつ星イン九州」も阿蘇駅で立ち往生し、予定を変更して博多に戻った。豊肥本線は数日前のラジオでもまだ雪の影響で徐行運転をしているという。ビニールハウスをはじめ農家の被害も小さくないことだろう。全国的にも大きな被害があり、今後の流通などに影響が出そうだ。
 そんな寒い朝に、テレビのお天気お姉さんは外の中継でも比較的薄着だが、さすがに耳だけは寒さを我慢できないのかボワボワの耳当てを着用していた。その耳当てを見て、30年以上も前の話しを思い出した。
 その頃の友人で、今でも家族ぐるみでおつきあいをしているお金持ちの家のお嬢さんの話しだ。経済的にはお勤めする必要性はないのだが、会社を経営されているお父さんの「仕事を通じて社会を経験させたい」という意向だと想像するが、お嬢さんは大学を卒業後に地元のある金融機関に自宅から通勤していた。ある朝、タクシー通勤のお父さんが偶然耳にしたタクシー無線に、自分の姓と娘さんという配車の連絡が聞こえた。お父さんがタクシー会社に確認し、娘が毎朝のようにタクシー通勤をしていたことを知るのだ。娘には即日通勤用にミニバイクが買い与えられた。
 その後に私と出会ったお嬢さんは悪びれることなく、そのことを報告してくれたのだが、同時にバイクで走る時に寒いので象の耳当てを買ったという話しが出た。
 「象の耳当て‥‥?」
 最初の連想で、私は象の耳の形をした耳当てをしてピラピラ風になびかせてバイクで走るお嬢さんを想像してしまった。「?」という私の顔を見て、お嬢さんは「違う。違う。象の耳の形の耳当てではなくて、可愛いゾウさんの顔がついた耳当てよ」と私の連想を訂正してくれた。
 猛禽類のはやぶさという鳥を我々は獲物を鷲掴みにして捕らえる強く獰猛なイメージから大きな身体を想像してしまうが、数日前に聴いたラジオで、鳥の猛禽類は我々が想像するよりも意外に小さいのだいう話しがあっていた。はやぶさの雄はほとんどカラスとサイズが違わないようだ。すばしこい生き餌を捕らえるためには、身体を小さくして身軽に早く飛ぶ必要があるからだそうだ。
 テレビに出演するタレントのみなさんが、画面で見ている感じと実際に見た印象が違うことはよく言われる。本当かどうか知らないが、画面では実際より横方面が大きく、つまり太って見えると言われる。画面でスタイルのいい女性タレントの方は、実際に見るとさらにほっそりとしていることになる。若い頃、パリの日本料理店に勤めている時、テレビに出演するタレントの皆さんがよく来店する店で、接客をして一番印象に残っているのは俳優の石坂浩二さんだ。生の石坂さんは背が高くてがっしりとされた感じで、テレビの画面で見る優しく華奢な感じの男性と印象が違って驚いた。
 小学校の授業で読書感想画を描くことになった。対象となった本はチキチキバンバンのお話だった。絵が大好きな私は没頭して自分が想像した本の一場面を夢中で描いた。多くのクラスメートが車のチキチキバンバン号が空を飛ぶ印象的な場面を描いていて、私もそうだったのだが、出来上がった絵を見て、私だけ皆の想像と違っていたものがあること気がついた。それはチキチキバンバン号に生えた翼。皆は飛行機の翼を描き、私は鳥の翼を描いたことだ。そのときの先生やクラスメートの反応や自分が自慢だったか恥ずかしかったかも忘れたが、同じ言葉でも連想するものが違う言葉があり、自分が多くの人と違う発想をしたということが今も心に残っている。
(2014.3.3)
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