かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (7)

2024年07月13日 | 脱原発

2014年5月9日

 根本昌幸さんという詩人がいる。福島県浪江町に生まれて、原発事故によって相馬市に避難を余儀なくされた一人である。最近、根本さんの詩集『荒野(あらの)に立ちて ――わが浪江町』を読んだ。優れた児童詩も書いている詩人らしく、やさしく平明な言葉で書かれた詩集である。その中の一篇。

ふるさとはどこですか
と 聞かれて
ふるさとはありません
と 答える。

ふるさとがない――
それはほんとうですか。

ほんとうです。
そう言って うつむく
ほんとうにないんですよ。

生まれた所はあるでしょう。

それはもちろんあります。
けれど今はありません。
捨てた訳ではありません。
途中からなくなったのです。

悲しいことです。

同情などいりません。
目を閉じると
美しい風景が浮かびます。
あれは私のユートピアでした。

夢など持ちたくても
私も もう年を追いました。
    根本昌幸「ふるさとがない」 [1]

 生まれ育った地は、そこにそっくりそのままの物理空間として存在しているが、いわば異次元空間のようにそこに立ち入ることが出来ない。そこは生命の場所ではない。「死んだ町」だと詩人は語る。

死んだ町だった
と 言った人がいた。
あと一言付け加えればよかったものを
その人はそれで
大臣を辞めた。
しかし それはほんとうのことだ
ある日 突然
町から人が消えた。
残された犬や猫や豚や鶏たち
牛や馬。
その他の動物たちは
何を思ったであろう。
言葉の話すことの出来ない
動物たちは
人っ子一人いない町を
餌を求めて
あるいは人間を求めて
さまよい続けたに違いない。
いったい何がおきたのだろう と。
不思議に思ったに違いない。
そしておびえるように
鳴き声を上げたであろう。
やがて動物たちは
目に涙を浮かべて死んでいったのだ。
ある日突然いなくなった
人間たちを恨みながら。
死んだ町は 今も
死んだままだ。
いつまでたっても死んだ町。
いつかは消えていく町。
幻の町。
   根本昌幸「死んだ町」 [2]

 私たちは、まだ放射能の降り注いだ街で暮らしている。私(たち)の反原発の運動は「福島の人に寄りそって」などというものではない。
 昨日、妻は知人から山菜を頂いて困り果てていた。「親切で持ってきてくれたのに……」。若い頃、職業被爆としてけっこうな線量を浴びた私だって食べないのだ。年老いたといえども、私はまだ人生を諦めたわけではない。

[1] 根本昌幸詩集『荒野に立ちて――わが浪江町』(コールサック社、2014年) p. 74。
[2] 同上、p. 60。


2014年8月1日

 ブログで知り合った人で、俳句も短歌も創っている人がいる。その人が、「文月と葉月を取り違えてしまった」というブログを書いていた。取り違えたにしろ、「文月」や「葉月」を想い起こす暮らしの時間を持っているのだと感心した。
 私といえば、原子力規制委員会の川内原発の審査書案や委員長発言に怒り狂ったり、姉の死を前にあたふたと仙台、大阪の往復を繰り返したり、いわば「剥き出しの生」のような余裕のない時間ばかりだった。「剥き出しの生」という言葉を思い出しても、それが、ミシェル・フーコーの著作による言葉だったか、ジョルジョ・アガンベンによるものだったか、判然としない。思想の書からも遠く離れてしまったような気分だ。そんなふうに継続的にへこんでいるのである。
 原発に関して言えば、検察審査会が東京電力の旧幹部3人は起訴相当という結論を出したというそれなりに良いニュースもあった。
 だが、今日の金曜デモのブログはデモを歩いた夏の宵にふさわしい詩の言葉を集めて、気分を変えることに専念することにした。いわば、即興のアンソロジー「夏の宵」である。へこみ続けている気分を思いっきり感傷にまみれさせるのだ。
 初めは、一番好きな詩人の詩から。

どこかで 母のよびごゑがする
原っぱに
くつといっしょに かうもりと 夕やみと
駄菓子のように甘ずっぱい 淡い孤独が
落ちかかる
 吉原幸子「幼年連禱三 IVおとぎ話」から [1]

 夏の夕方、原っぱで遊ぶ子どもたちを呼びに来る母親たちという風景は、今でもあるのか。私の母が亡くなったとき、そんな風景の思い出も消えたような気がして、私の幼年の記憶も消えたのだと思い込んでしまった。

夕空はしろく映えをり不帰の客としらず発ちゆく人もあるべし
     春日井建 [2]

たつぷりと皆遠く在り夏の暮
     永田耕衣 [3]

別るるや夢一筋の天の川
     夏目漱石 [4]

 父、母、二人の兄、姉はもうずっと遠くにいって、私は彼らの誰もが住んだことない仙台の街で、夏の暮れを歩いている。 つい気分が死の影のほうへ傾いてしまうが、たとえば青春の夏だってあったのだ。青春はいずれ終る闘いの時でもあったのだが、それぞれの終りをそれぞれが生きる、つまり、当たり前のように別れは誰にでもやって来た。

表紙にはタゴールの詩を掲げゐつかつてわれらはわれらの夏に
   大口玲子 [5]

君は君のわれはわれなるたましいの翼たたまむ夏草の中
   道浦母都子 [6]

これからは群れなすことも会うこともなかりき君よ 口紅をぬれ
   福島泰樹 [7]

走り去った風
風のうしろ姿

街に 居場所はもはやない
季節に名まへはもはやない
わたしは笑ひだすわたしを眺める
  吉原幸子「晩夏 7 又 別れ」から [8]

カナかなが啼いている。
隣りの子どもの声がする。
ぼくはさっき街から帰ったばかりだ。
街に何があるかわからない。
ただ満ち足りた空洞のような場所から
ばくは毎日帰るだけだ。
  菅原克己「ぼくの中にいつも 3 昼と夜の空のつぎ目」から [9]

 どれもこれも、脱原発にはふさわしくないような詩句ばかりだ。老いた身にも、それなりの闘いは残されてあるというのに。

かなかなの空の祖国のため死にし友継ぐべしやわれらの明日は 
    寺山修司 [10]

[1] 『現代詩文庫56 吉原幸子詩集』(思潮社 1973年)p.36。
[2] 春日井建『歌集 水の蔵』(短歌新聞社 平成12年)p. 24。
[3] 『永田耕衣五百句』(永田耕衣の会 平成11年)p.157。
[4] 『わが愛する俳人 第四集』(有斐閣 1979年)p.149。
[5] 『海量(ハイリャン)/東北(とうほく) 大口玲子歌集)』(雁書館 2003年)p. 20。
[6] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社 2005年)p. 144。
[7] 福島泰樹「歌集 転調哀傷歌」『福島泰樹全歌集 第1巻』(河出書房新社 1999年)p. 159。
[8] 吉原幸子「詩集 夏の墓」『吉原幸子全詩 I』(思潮社 1981年)p.204。
[9] 『菅原克己全詩集』(西田書店 2003年)p.242。
[10] 『寺山修司全歌集』(講談社、2011年)p. 111。

 

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