放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

コンティキの家

2011年07月07日 00時32分57秒 | Weblog
 BELAちゃんの実家は角田市にある。
 築60年以上の古い家。
 3.11東日本大震災でも柱が傾くなどの被害が出た。

 同時にご先祖の墓石(棹石)が倒れるなどの被害もあって、少なからず出費がかさむことになった。
 これは困ったなぁ。

 お義父さんも心労のせいか食が振るわず、お通じもあまりよくないらしい。
 困った困った・・・。

 あんまり困って、僕たちは放菴の設計・管理をしてくれた設計士さんに相談してみた。
 誰よりも木造建築と大工を愛し、その研究と工夫に日々を奉げる熱い人。
 いまは被災地のあちこちで耐震診断に引っ張りだされている。多忙ですね。

 やっと電話がつながり内容を聞いてもらう。
 「柱がみな垂直でないの? んー、それじゃあね、角田市で罹災証明書取れるかどうかやってみてくれない?
 建物診断で罹災証明とれればなんぼか修理代出ると思うから。」
 「はあ、わかりました。やってみます。」

 義父を説得して、渋々ながら市の調査員に来てもらうことになった。
 
 それでも不機嫌な義父。
 調査員に対する言葉でも「おメェらにこの家がわかるはずねぇベ?」という態度が見え隠れする。
 おとーさん、ケンカ腰になるのだけはやめて・・・。

 義父はだれよりもこの家のことを知っていた。
 近所の大工さんが建ててくれた家。
 基礎のない置石(ツカ石)に柱を立てて木組みをした家。
 ヌキ(貫)と呼ばれる横板を利かせた家。
 今の建築しかしらない若いやつにわかる筈が無い・・・。

 そうかもしれないが、市の調査員だってこれがお仕事なんだからしょうがない。
 柱の傾斜を測り、写真を撮って帰っていった。
 一週間後、「罹災証明書(一部損壊)」が届いた。

 「一部損壊かぁ。」
 設計士さんはちょっと不満のよう。
 「まあ、近いうちに拝見させてもらいますね。」
 そうして2週間が過ぎた。
 そのあいだ、お墓の修復、法事やらお義父さんは忙しくすごした。そしてまた少しずつ体調を悪くしていった。
 
 2週間後、やっと設計士さんをお招きできた。
 義父がまたケンカ腰になったらどうしよう・・・。
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