7月3日(日)、角田市に設計士さん(ちろりん村の村長さん=耐震診断もできる人)が到着した。
「いやぁ、蓮がきれいだったねぇ」と設計士さん。
そーなんです。ホントきれいなんですー。
設計士さん、まず外観をぐるり。
「はぁ、基礎はツカ石なんだねぇ。」
すごい、一発で見抜いた!
それから建物に入って、内壁の割れたところから中の部材を覗いている。
「いいねぇ。惚れ惚れするねぇ。」
そーですか?
「あ、ちょっと床が傾いているんだねぇ。」
ああ、これヤバいですか?
「ううん。住んでいる人が頭痛とかめまいするとかならジャッキであげねくてねぇけど、もう慣れたすぺ?」
思わず義父と義母が顔を見合わせて笑う。
― おや、一瞬で空気が和んだぞ ―
「お、二階には小屋組みが見えているんですね。ちょっと、拝見しても?」
「は、はいどうぞどうぞ。」
義母があわてて梯子のような階段を先導する。
「あの、牛梁、すごいなぁ・・・。」
まるで遺跡を発見した考古学者のようだ。
「いやぁ、すばらしい出来ですねぇ。これ、地元の大工さんが造ったのすか?」
「んだ。この地区に住んでいた大工さん。」
「屋根は、もしかして・・・。」
「うん、実は合掌造りなの。」
「あ、やっぱり。」
えっ、合掌造りなの!?
「これはヒジョーに丁寧に造ってありますよ。たいへんなお仕事ですね。職人のはしくれとして、尊敬しますね。」
それを聞いて義父は思わずニコニコしていた。
で、肝心の耐震補強については・・・?
「必要ないでしょう。まだまだもちますよ。」
ええっ!
「まずツカ石ってのがいいね。
みんな誤解しているけど、基礎をツカ石にするってのは今で言う『免震構造』でね。揺れたら基礎から建物が外れるように最初から出来ているの。厳島神社なんかと一緒の構造。外れたらまたあとで戻せばいいの。
それから『ヌキ』っていう横板が壁にはいっているけど、これにクサビが入っている。これで建物の揺れを吸収しているの。壊れるときはまずクサビがつぶれるから。そのときはクサビを取り替えればいい、ヌキまで壊れたらヌキを取り替える。そうやって小さな部材から交換できて、なるべく柱まで取り替えなくても大概なおせるように出来ているの。
いわば地震が来ても破壊力を受け流すっつうか、『柳に風』っつう建物なんですわ。
これを下手に現代の火打ち金物で固定なんかしたら、地震の時そこだけ材が裂けてかえってひどいことになるから、これはこれで現代と設計思想がまるで違うということを知っておいてほしいのっさ。」
へえええ。
「まあ建付けはどんどんゆがんでいくから、どうしてもなおしてほしいというのであればジャッキアップすっけど、建物としてはこのままで90%倒れないと思いますね。」
義父も義母も少し驚いたような、それでもこの家の強さを分ってもらえてうれしいような、複雑な顔をしていた。
こんな話しをどこかで聞いたような気がする。
そうだ・・・。ヘイエルダールだ。コンティキ号だ。
南米インディオが海を渡ってポリネシア人になったという説を支持するために、人類学者ヘイエルダール氏は当時でも手に入った材料(バルサ)を使ってイカダを制作。そのまま実際に太平洋を漂流した。
当初「すぐに沈んでしまうぞ」と揶揄されたが、結局沈むことなく(ナマ木だったのが幸いしたとか・・・)、南サモア諸島に漂着するに至る。
漂流中、どんな大波が来てもイカダのすきまから水が逃げていくので現代の船よりもよっぽど波をあしらうのに適していたという。それこそ「柳に風」。現代人が思うようにいかないことでも、先達の知恵というものがちゃんと用意されているのだ。
「おそらく、その大工さんも、クサビを打つ理由まではわかんなかったと思うよ。けれど先輩たちからそんなふうに教わっていたんだべね。」
義母が義父の顔を覗き込むようにして
「いがったねぇ?」
義父はこまったような、ほっとしたような笑顔を義母に返した。
僕らもなんだか肩の荷がおりた。
設計士さん(ちろりん村の村長さん)、かっこいいなぁ。
「いまは建築法がやかましいから、基礎や柱にはかならず火打ち金物ってので固定してやんなきゃ建築確認通らない。オレらも仕事だから法律は守んなきゃなんねえべし・・・、けれど一番長持ちする建物ってのは、こういう柔軟な家なんですよ。これからも大事にしてください。」
まるでどこかの鑑定団みたい・・・。
置き忘れられた職人の「想い」というか「矜持」というか、そういったものが、震災の傍らで甦った瞬間だった。
「いやぁ、蓮がきれいだったねぇ」と設計士さん。
そーなんです。ホントきれいなんですー。
設計士さん、まず外観をぐるり。
「はぁ、基礎はツカ石なんだねぇ。」
すごい、一発で見抜いた!
それから建物に入って、内壁の割れたところから中の部材を覗いている。
「いいねぇ。惚れ惚れするねぇ。」
そーですか?
「あ、ちょっと床が傾いているんだねぇ。」
ああ、これヤバいですか?
「ううん。住んでいる人が頭痛とかめまいするとかならジャッキであげねくてねぇけど、もう慣れたすぺ?」
思わず義父と義母が顔を見合わせて笑う。
― おや、一瞬で空気が和んだぞ ―
「お、二階には小屋組みが見えているんですね。ちょっと、拝見しても?」
「は、はいどうぞどうぞ。」
義母があわてて梯子のような階段を先導する。
「あの、牛梁、すごいなぁ・・・。」
まるで遺跡を発見した考古学者のようだ。
「いやぁ、すばらしい出来ですねぇ。これ、地元の大工さんが造ったのすか?」
「んだ。この地区に住んでいた大工さん。」
「屋根は、もしかして・・・。」
「うん、実は合掌造りなの。」
「あ、やっぱり。」
えっ、合掌造りなの!?
「これはヒジョーに丁寧に造ってありますよ。たいへんなお仕事ですね。職人のはしくれとして、尊敬しますね。」
それを聞いて義父は思わずニコニコしていた。
で、肝心の耐震補強については・・・?
「必要ないでしょう。まだまだもちますよ。」
ええっ!
「まずツカ石ってのがいいね。
みんな誤解しているけど、基礎をツカ石にするってのは今で言う『免震構造』でね。揺れたら基礎から建物が外れるように最初から出来ているの。厳島神社なんかと一緒の構造。外れたらまたあとで戻せばいいの。
それから『ヌキ』っていう横板が壁にはいっているけど、これにクサビが入っている。これで建物の揺れを吸収しているの。壊れるときはまずクサビがつぶれるから。そのときはクサビを取り替えればいい、ヌキまで壊れたらヌキを取り替える。そうやって小さな部材から交換できて、なるべく柱まで取り替えなくても大概なおせるように出来ているの。
いわば地震が来ても破壊力を受け流すっつうか、『柳に風』っつう建物なんですわ。
これを下手に現代の火打ち金物で固定なんかしたら、地震の時そこだけ材が裂けてかえってひどいことになるから、これはこれで現代と設計思想がまるで違うということを知っておいてほしいのっさ。」
へえええ。
「まあ建付けはどんどんゆがんでいくから、どうしてもなおしてほしいというのであればジャッキアップすっけど、建物としてはこのままで90%倒れないと思いますね。」
義父も義母も少し驚いたような、それでもこの家の強さを分ってもらえてうれしいような、複雑な顔をしていた。
こんな話しをどこかで聞いたような気がする。
そうだ・・・。ヘイエルダールだ。コンティキ号だ。
南米インディオが海を渡ってポリネシア人になったという説を支持するために、人類学者ヘイエルダール氏は当時でも手に入った材料(バルサ)を使ってイカダを制作。そのまま実際に太平洋を漂流した。
当初「すぐに沈んでしまうぞ」と揶揄されたが、結局沈むことなく(ナマ木だったのが幸いしたとか・・・)、南サモア諸島に漂着するに至る。
漂流中、どんな大波が来てもイカダのすきまから水が逃げていくので現代の船よりもよっぽど波をあしらうのに適していたという。それこそ「柳に風」。現代人が思うようにいかないことでも、先達の知恵というものがちゃんと用意されているのだ。
「おそらく、その大工さんも、クサビを打つ理由まではわかんなかったと思うよ。けれど先輩たちからそんなふうに教わっていたんだべね。」
義母が義父の顔を覗き込むようにして
「いがったねぇ?」
義父はこまったような、ほっとしたような笑顔を義母に返した。
僕らもなんだか肩の荷がおりた。
設計士さん(ちろりん村の村長さん)、かっこいいなぁ。
「いまは建築法がやかましいから、基礎や柱にはかならず火打ち金物ってので固定してやんなきゃ建築確認通らない。オレらも仕事だから法律は守んなきゃなんねえべし・・・、けれど一番長持ちする建物ってのは、こういう柔軟な家なんですよ。これからも大事にしてください。」
まるでどこかの鑑定団みたい・・・。
置き忘れられた職人の「想い」というか「矜持」というか、そういったものが、震災の傍らで甦った瞬間だった。
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