北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
上津役の歴史を訪ねて、原点は? & 観慈亭
4月の天気のいいある日、チョット遠出の徘徊です。
八幡には、上津役(こうじゃく)という難読地名があります。
今回の徘徊は、この地区の下上津役(しもこうじゃく)へ、
地図を片手に、目指すは「役之郷」と「観慈亭」です。
『役之郷清水ヶ池古駅水』(やくのごう しょうずがいけ こえきすい)
と言う説明看板を見つけました。
↑上の写真の中央、田んぼの片隅に木が生い茂っている所です。
この説明文によれば、
その昔、京都と大宰府を結ぶ官道があって、
ここは、その官道の駅?、江戸時代で言う宿場だった。
単なんる農村地帯じゃなくて、
当時は往来の激しい繁華街だったのだろうか??
役之郷、夜久から、「上津役」 と変化したのかな?
説明看板に書かれている井戸と地蔵菩薩です。
お地蔵さんは、追分石(道しるべ)の役割もしていたようで、
道筋にあったのを集合させたのだろう。
文字が見えましたが、達筆で読めませんでした。
どうやら、この辺りが、「上津役」の原点かもしれない。
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こちらは、「観慈亭」です。
(「役之郷清水ヶ池古駅水」の近くにありました。)
帆柱四國第54番札所で、ご本尊は聖観世音菩薩。
当地出身の大和与市が、明治21年から23年にかけて、
日本全国各地の神社仏閣を歩いて巡拝後、
この地に、この「観慈亭」を建立しました。
そこに至るには、
明治6年、全国的に起きた出来事に、
巻き込まれた事から始まります。
その説明が、石碑に刻み込まれていました。
これがその説明文の石碑です。(クリックで大きくなります)
観慈亭本堂
境内には、四国88ヶ所と西国33ヶ所の石仏が、
多数の方の寄進を得て奉納されています。
周囲は、けっこう拓けた住宅街です。
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実は今回の徘徊は、
コメントで、観慈亭のことを知らせてくた方がいました。
いつかは、行って見たいと思い、
調べていると、役之郷云々のことが分かり、
郷土史のミーハーは俄然興味を持ち、出かけた次第です。
まさか、こんな説明看板があるとは!?
当時のことが、色々想像できますね。
説明文自体に不確定な部分が多く、
自分勝手に想像出来る。
歴史は、ロマンかな!?
帰りに、塔野小学校の上の方まで行って見ました。
(1)権現山、(2)帆柱山は、はっきり見えましたが、
(3)皿倉山は、テレビ塔がわずかに見える程度でした。
この辺りを歩いたのは初めてで、
まだまだ、八幡で知らないところが、いっぱいあるなあ!
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