トリノの人たちが、カルリーナ広場(Piazza Carlina)と呼ぶ
カルロ・エマヌエレII世広場(Piazza Carlo Emanuele II)。
広場の南側、カヴール像の後ろに写っているのは、
1718年に、ヴィットリオ・アメデオII・ディ・サヴォイア王の命により、
建築家フィリッポ・ユヴァッラが手掛けたサンタ・クローチェ教会。
今はルーマニア正教会。
フィリッポ・ユヴァッラは1714年に、
ヴィットリオ・アメデオII・ディ・サヴォイア王にトリノに招かれ、
トリノを代表するバロック後期建築を多く手掛けた。
スペルガ聖堂、マダム宮のファザード、ヴェナリア王宮内にある礼拝堂など
バロックの街として有名なトリノは、建築家フィリッポ・ユヴァッラなくして語れない。
なぜ地元の人はこの広場を、カルロ・エマヌエレII世広場と呼ばずに
カルリーナ広場とちょっと女の人っぽい愛称で呼ぶのか・・・?
それは想像にお任せすることにして、
もうひとつ、この広場には忘れてはいけない過去の歴史がある。
それはこの広場を囲む住居にゲットーがあったということ。
正方形の広場の一辺が120メートルの比較的小さめの広場ではあるけれど、
いろんな時代の歴史が詰まっている場所。
ミニネタ:この広場は電線だらけ。
今回の写真、実は電線を消してある。
トリノのあるグラッフィックコースでは、
この広場の電線を消す試験があるらしい。
カルロ・エマヌエレII世広場(Piazza Carlo Emanuele II)。
広場の南側、カヴール像の後ろに写っているのは、
1718年に、ヴィットリオ・アメデオII・ディ・サヴォイア王の命により、
建築家フィリッポ・ユヴァッラが手掛けたサンタ・クローチェ教会。
今はルーマニア正教会。
フィリッポ・ユヴァッラは1714年に、
ヴィットリオ・アメデオII・ディ・サヴォイア王にトリノに招かれ、
トリノを代表するバロック後期建築を多く手掛けた。
スペルガ聖堂、マダム宮のファザード、ヴェナリア王宮内にある礼拝堂など
バロックの街として有名なトリノは、建築家フィリッポ・ユヴァッラなくして語れない。
なぜ地元の人はこの広場を、カルロ・エマヌエレII世広場と呼ばずに
カルリーナ広場とちょっと女の人っぽい愛称で呼ぶのか・・・?
それは想像にお任せすることにして、
もうひとつ、この広場には忘れてはいけない過去の歴史がある。
それはこの広場を囲む住居にゲットーがあったということ。
正方形の広場の一辺が120メートルの比較的小さめの広場ではあるけれど、
いろんな時代の歴史が詰まっている場所。
ミニネタ:この広場は電線だらけ。
今回の写真、実は電線を消してある。
トリノのあるグラッフィックコースでは、
この広場の電線を消す試験があるらしい。