ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

不思議涙

2010-12-21 | 雑念
久しぶりに泣いた。

それは映画や演劇を観てなどの「感動」ではありません。

それは腹痛や歯痛などの「痛み」でもありません。

飼っていたメダカが死んだなどの「決別などの悲しみ」でも。

自分の不甲斐なさからくる「情けなさ」でもないのです。

それは「自分が発する言葉への同調」と言いますか、「自分の態度への賞賛」と、言いますか。

オーケストラなどの圧倒的な力に魂が震えるとか、富士山を見た時は泣かないのにフト登っているときの途中に苦しさと嬉しさの入り混じったような。

自分自身が、「何故涙が出るのか分からない」感情なのだ。

具体的には、、、。

か、書きたくない。

ど、どうしよう。

私はミスをしました。
そして感情論で言えば、
私の言い分があって、
「謝罪」は「正しい」選択ではない。

しかし会社の為に「謝罪」をしたのです。かなりの低姿勢で。

そして、それは人に「言われて」ではなく、「自主的に」不条理な謝罪を選択したのです。

そして、謝罪の前には
「この仕事がうまく行けば、自分自身がもう一つ成長する」と言い聞かすように、決めたのです。

すると、どうでしょう。

とても素直に、言葉が出るのです。
しかも、「ビジネス謝罪」のはずだったのに「心から謝罪」している自分がいたのです。

その自分に気づいた時、
涙が、信じられない位ボロボロ流れ落ちたのです。

未だに「何の」涙なのか自分でも分かりません。不思議な涙です。

人間の不思議なのか、
私個人の不思議なのか、

とにかく、「初めて」の体験をしました。

まるで宇宙人に会ったような不思議で、誰も共感出来ない出来事でした。

その不思議のお陰か、
そのミスは「なかった事」となり、
遺恨は残らない結果になりました。

皆さんは、こんな不思議涙の経験はありますか?

詩人

2010-12-21 | 雑念
朝から雨。
作業は残っていますが、
遅々として進まないのが現状。

2010年は総合的に見たら、
転機の年だったんでしょう。

私の場合、
転機の年じゃない年は数少ないのですが。0歳の時が1番着実な毎日を過ごしていたのかも知れません。

1月にNPO辞め、
プー太郎。
春から難民の様に、
永住する場所を探した。

そしてある無人島が見える海岸線を見た時、「これは素晴らしい!」「こんなところに住めたらイイな」と思ってしまった。

それが枕崎に、ほど近い坊津だった。
仕事を探し、
鹿児島の現状を調べると、
「失業率は高く」「若者は鹿児島市内や都会へ」の過疎地の抱える問題が見えてきた。

たまたま鹿児島のNPOの仕事と出会い、
就職。生活のベースとした。

そして鹿児島で力を持つ数少ない団体であった。

8月から働き出し、5ヶ月間。
奥様の家族とも仲良く、
特に奥様は山奥で暮していた兵庫の冬とは違って、実家が近い事で元気を取り戻していた。

携帯がSoftBankの電波が少ないとか、
何故か地デジが映りにくいとか、
それなりの細かいストレスはあるものの、概ね順調である。

しかし運命なのか宿命なのか。

私はこの歳になるまで、
何人分の人生を歩んできたのか?
と、思うほど転機を迎え、
様々なルートを阿弥陀くじの様に、
進んできている。

他の人もそうなんだと思うときもある。
でも、話してみると、そういう人は少ない様だ。

だから珍しい人間なんだろう。
かと言ってそれをクローズアップされるのは好きくない。

かつて私を「転石」に例えた詩人もいらっしゃった。

安住の場所は、私にはおとずれないのかも知れない。

だがそれも一興。

かつての柳生十兵衛も旅人だと聞く。

2010年も江戸時代も何も変わらない。
ただただ人間が幸せを求めて、
大地を踏んで歩んでいるだけである。