ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

知識やスキルにばかり目がいく理由

2017-10-27 | 雑念
筆をもって絵を習うことはそう大騒ぎをしなくてもよいのです。それよりも人物をつくることが大事で、それを土台にしないことにはいくらやっても駄目なことです” 横山大観


ファシリテータースキルについて同じように考えている。どのような分野であっても一緒じゃないかとも思う。

だから結局は個人の在り方を磨くしか方法はない。そのトレーニングのメニューも考えなければならない。

それはそれでよし。何度も同じことを書いているし。

それとは別に、「なぜスキルばかりに目がいくのか?」を書きたい。

僕は別に「スキルダメ」ではない。
僕は多分、「スキルの話を仲間とすること」が大切なんだと思っている。あーだろ、こーだろと話をする時間が在り方を磨くんじゃないかと。

そんな時間にスキルを持って帰ることはほぼ無い。

でも語り合っている時間にこそ意味がある。
これを種明かしすると「ホクトマンの言っているスキルの話は意味ない」と捉える輩も出没するので誤解を解くのが面倒くさい。

兎にも角にも「語り合う時間の重要性」

その意味は知識を得るためではないことを言っている。

何かを得ようと必死で語り合おうとも何も得られないのだ。

その語り合いの時間を楽しむこと、スキルの話を出来ている自分に自信を持つこと、そんな素敵な人たちと仲間である瞬間を感じること

そういう意味で重要なのだ。

そしてそういう時間をもつために「スキル」「知識」が道具として存在している。

本を読む量が多い人が偉人になる訳ではない。

その道具を使って語り合い、哲学をして、自分自身の在り方を考える人が素敵な人間になるのだと思う。

目の前の「見える道具であるから」。これがスキルに目がいく理由である。

だからスキルを手にしても虚無感が生まれるのだ。

何だったんだこの人生は?と感じるはず。

金と時間を費やして得られた知識とスキルを両手に持って、悲しく震えて跪く。

早く気づいて欲しい。

そして僕もその誘惑に流されないように。