普通の人なら、好んで喧嘩はしたくない。しないですむなら、そのほうがいいに決まっている。
しかし、そうもいかないのが現実だ。
家庭内ですら、自分の思うようにはいかない。
ご亭主の立場で言えば、なんでも反対の女房。話も聞かずに席を立つ娘。だいいち息子は家に寄りつかない。
女房どのの立場から言えば、もともと亭主は帰ってこない。喧嘩にもならない。
まして職場ともなれば、社長でもないかぎり、思うようにいかないことのほうが多い。
地域の活動においても、趣味のサークルであっても、思いどおりには運ばないのが普通。
それでも職場の場合は、目的がほぼ合っているので、意見の違いは、ほとんどが方法論。
家庭内では、根底に我が儘があるので、始末に負えないことが多い。しかし、ご亭主か女房どののどちらかに主導権があるので、誰かが我慢をすれば、さざ波くらいでことは収まる。
地域活動や趣味のサークルは、厄介かもしれない。
意見が合わなければ、当然のこと、衝突が起きる。つまり、喧嘩になる。
核戦争の場合は双方とも死ぬ。だが私たちの場合は、双方とも生き残る。明日から毎日、顔をつきあわせなければならない。
とすればお互いに、瀕死の重傷を負ったり負わせたりするわけにはいかないのだ。
喧嘩を始めたからには、勝たなければならない。
だが、勝ち方が問題なのだ。
周到に考えて、外堀も内堀も埋めた上で、喧嘩を始めたほうがいい。
しかし、自分が勝つとは限らない。負けても逃げられる逃げ道を、密かに準備しておくこと。
同時に、相手のために、一カ所の逃げ道を残してやること。
喧嘩をするにあたっては、自分の逃げ道や相手の逃げ道を考えることが極めて肝要。
こちらの優勢が見え始めた時、残して置いた逃げ道へ、相手を誘導して逃がしてやる。
明日からも顔を突き合わせる相手であれば、メチャクチャに叩いてはいけない。
泣きわめいて逃げ惑う惨めな自分を、みんなの前で見せてもいけない。
ただし、上司とことを構える時は、こちらは玉砕覚悟。
もちろんそんな時でも、上司の逃げ道は残して置きたい。
これは牡丹。
公園管理者の話では、秋に牡丹と芍薬を入れ替えたとのこと。
薔薇のあとへ牡丹を植え、牡丹のところに芍薬を植えた。
芍薬の跡地には、まだ何も芽が出ていない。
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