新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

もみじマークの不評

2009年07月25日 06時58分58秒 | 身辺雑記

 あの「もみじマーク」が見直される。

 当初は貼付を義務づけし、罰則規定もあった。

 不評だったので、その後、罰則については凍結されていた。

 あの「もみじマーク」は、公募したものだったらしい。

 不評だった理由は、「枯葉みたい」や「涙のしずくを連想させる」だったとのこと。

 これは少し勘違いもありそうだ。

 高齢者が付けたがらない理由の大きな一つに、「高齢者と認識されると、運転の上で不愉快になる」がある。

 今の社会は、高齢者にとりわけ優しいとは思わない。労りの気持ちは希薄だ。

 むしろ、イジメの対象としたり、詐欺のカモにされたりしている。「振り込め詐欺」がいい例ではないか。

 だから、「高齢者の看板」たる「もみじマーク」は、付けたくないのだ。

 どこかのテレビで報じられていた話。

「もみじマーク」を付けた車が、尾行されていた。 信号でストップしたとき、うしろの車から男が降りてきて、保険の勧誘を始めたという。信号が青になっても離れず、やむを得ず、その男を乗せて走ったとのこと。

 もう一つの例。

「もみじマーク」車を、うしろを走っている車が煽り行為をして、恐ろしい感じを抱いた。

 つまり言いたいことは、今や高齢者はイジメの対象であり、カモなのだ。

 どんなにスマートなマークにしても、私は貼付して走りたくない。

 こんど公募する際の選定方針は、「高齢者が誇りをもって付ける気持ちになる」とか、「親しみやすい」ということらしい。

 どんな方針で選定しても、私は付ける気持ちにはなれない。

 そんなマークを付けたら、危険にさらされそうだ。

 高齢者に対する社会の認識が変わらない限り、とてもその気にはなれない。

 もちろん、高齢者自身も、信頼される人生経験者にならなければならない。

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河童忌

2009年07月24日 02時49分08秒 | 写真俳句・エッセー

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  昭和2年7月24日の未明、芥川龍之介が睡眠薬自殺をした。満35歳であった。

 大正3年(22歳)ごろから、菊池寛、久米正雄、山本有三などと文学活動に入った。

 大正4年(23歳)、「羅生門」を発表したが、評価はされなかったらしい。

 その後、久米正雄とともに、夏目漱石の門下に入った。

 大正5年(24歳)になって、「鼻」や「芋粥」などを発表、文壇の注目を浴び、地位も確立していった。

 以来、戯曲、小説の分野で、多くの作品を発表。

 どちらかと言えば、技巧的でかつ芸術至上の作風であった。

 俳句は高浜虚子に師事し、句集として、「澄江堂句集」がある。

 代表句としては、 

    水洟や鼻の先だけ暮れ残る

 などがある。

 その彼が、致死量以上の睡眠薬を飲んで自殺をした。

 枕元には、バイブルと3通の遺書(夫人、子供、菊池寛あて)、それに、「或旧友へ送る手記」があった。

 私が芥川文学に深く接したのは、高校の終わり頃であった。「地獄変」、「鼻」、「藪の中」などの多くの作品を読んだ。

 正直のところ、太宰治ほどのめり込むことはなかった。知的で不思議な作風だと思った。

 生前の彼が好んで河童の図を描いたことや、死の前年に「河童」という小説を発表していたので、忌日を「河童忌」としたのだそうだ。

    河童の忌孤独の好きな盆の窪   鵯 一平

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選挙の夏

2009年07月22日 06時52分55秒 | 身辺雑記

 昨日の記事で、「夏は望郷の季節」を書いた。

 しかし今年の夏は、「選挙の季節」となった。

 昨日の午後、衆院が解散され、政権選択の選挙戦に突入することとなったのだ。

 自民党の壊滅的な敗北。そのような見方もある。

 一方、民主党は信頼感に欠ける、という意見もある。

 政権を選択するのは、われわれ選挙民だ。

 悔いが残らない選択をしたい。

 とは言いつつ、どちらも五十歩百歩と言えなくもない。

 まだ40日もある。よく考えたい。

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夏は望郷の季節

2009年07月21日 05時37分57秒 | 身辺雑記

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 私にとって、夏は望郷の季節。

 とは言え、故郷を思うとき、夏のシーンだけがよみがえるわけではない。そこは不思議だ。

 そんな気分になっている理由は、正直のところ、私にもよく分からない。

 仕事を除き、夏の思い出の多くは、故郷に絡んでいる。

 私の記憶から「夏」を引き出せば、ほとんどは故郷でのシーンとなってしまう。

 逆に、「故郷」を記憶から引き出せば、夏にがぎらない。ほかの季節も思い出すのだ。

 主な理由は、戦争にあるのかもしれない。

 幼かった私にとって、戦争の記憶は夏に集中していた。

 艦砲射撃で逃げ惑ったのは夏。空襲に遭ったのも夏。機銃掃射の噂も夏。

 しかも、敗戦の詔勅を聞いたのも夏だった。

 社会人となってから、生活の基盤は東京に移った。

 暮れ正月と夏休みくらいしか帰省できなかった。子供が生まれて後は、夏休みだけが帰省の機会だった。

 子供たちの成長とともに、帰省の機会は少なくなった。彼ら独自の計画が生まれたからだ。

 両親が他界してから、ふたたび夏と故郷が強く結ばれた。お盆詣りが重要な行事となった。

 そんなことから、私にとっての夏は故郷であり、望郷の念に駆られることとなるらしい。

 平成に入ってから、私の夏に裏磐梯が加わった。写真撮影のためである。

 上の写真は裏磐梯の夏。

 平成17年7月17日早朝。日の出を待ったが、太陽は顔を見せてくれなかった。

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15年後のSちゃんへ その3

2009年07月19日 05時58分08秒 | 身辺雑記

 15年前の昨日、あなたは微熱があった。

 だから、いつものようにK駅まで迎えにきてくれませんでした。

 そんな朝、私とおばあちゃんは、とても淋しい。

 それでも二人は元気を出して、駅ビルで買い物をして、歩いて行ったのです。

 曲がり角を曲がったとき、お父さんと手を繋いだSちゃんの姿を見つけました。

 途中まで迎えにきてくれたのですね。

「あれ・・?大丈夫なのかしら?」 すぐに心配をする私です。

 Sちゃんは走ってきませんでした。そこで手を振ってくれただけでした。

 そこからは私と手を繋いで引き返し。

 昨日一日、熱は下がっていたようですが、調子は悪かったみたい。

 そのせいか、いつもは私のところへまとわりつくのに、お父さんとばかり遊んでいましたね。

 おじいちゃんは少しがっかり。

 2009年7月18日のあなたでした。

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