新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

民主主義国家とは

2009年07月11日 05時13分34秒 | コラム・エッセー

 政治の世界が、かなりきな臭くなってきましたね。

 明日の7月12日、都議会議員選挙が行われます。

 その結果によって、また右往左往の大騒ぎがあるのでしょうか。

 野次馬根性的に言えば、面白くて眼が離せない。

 開票結果がどのようになろうとも、政権与党は総選挙の先延ばしを画策し、野党は総選挙の早期実施を叫ぶに違いありません。

 その過程で、衆院では麻生首相の不信任案の論議が起こり、参院では問責決議案が取り沙汰されるのでしょうか。

 もうウンザリです。

 このままでは世界から嘲笑の的になり、とり残されます。

 ロシアは今ごろまた、北方領土の2島返還論を言い出しました。

 国内基盤が弱い麻生首相相手なので、言いたい放題です。それが国際社会です。

 今度のサミットにおいて、麻生首相の存在感は薄かったようでした。

 作り笑顔の麻生さん、むしろ痛々しかったですね。

 我が国はどうすればいいのでしょうか。

 支持率60パーセント程度の政府でないと、まともな外交もできません。

 過半数の賛成を得られなければ、政策の実行は難しい。

 それが民主主義国家です。

 衆議院選挙を逃げまくった自公政権が、今、崖っぷちに立たされています。

 自分の当選を考えることは、民の意見を尊重することです。

 だから、当選のために血道を上げるのは議員として当然のことです。

 しかし、今の状況には違和感を感じます。

 なぜでしょうか。

 政治家が、信念を説かないからだと思います。

 単に党利党略や人気取りを考えすぎているから、薄っぺらにしか聞こえない。

 民主主義が邪道に陥っているようです。

 これは選挙民の責任でもあるのです。

 政治家は政策を論じ、選挙民は真摯にそれを評価する!

 その王道に戻ってほしい!

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若い人はいいねえ

2009年07月10日 06時44分31秒 | 身辺雑記

Simg_3045t_2

 先日、「蔵の街」の栃木市まで足を伸ばした。撮影小旅行のつもりだった。

 上の写真はその折の一枚。

 写真の下部を、巴波川(うずまがわ)が流れている。

 女船頭さんの棹で、舟涼みができる。しかし私には、時間の余裕がなかった。

 その光景から感じた俳句を、昨日の「いのちの囁き」で見ていただいた。

   舟涼み船頭唄はをみな声   鵯 一平

 街内には、歴史を感じる古い建物が多かった。今も使用しているのだから凄い。

 小綺麗な店も多かった。

 染め物屋があった。ショウウインドウには浴衣地が掛けてあり、花が活けてあった。

「写真を1枚、撮らせて下さい」

 ショウウインドウにカメラを向けながら、店内に声をかけた。まさに不躾な私だ。

「お暑いでしょうに、大変ですねえ」  店内の老婦人が、気さくに答えてくれた。

「涼しげな色ですねえ」  知りもしないくせに、私は世辞を言った。

「ありがとうございます。冷たいものでも如何ですか」 嬉しい反応が返ってきた。

「先を急ぎますので……(もぐもぐ)」 早々に辞去することとした。

 帰路の時間が気になり、急ぎ足となった。カメラの重量が堪えた。

「重そうですねえ!」

 私よりは年上そうな老人から、声を掛けられた。素通りはできない。

「それがデジタルカメラなんだねえ。重たそうだねえ」

 買い物の帰りらしく、小さな包みを持っている。

「ええ、重いですよ。ちょっと持ってご覧になりますか?」  敬老精神が言わせたセリフだ。

 老人が両手を出した。恐る恐るカメラをのせてみた。

「これは、これは、ウン、なるほど重い!私が使っていたカメラより、何倍もあるねえ」

 それから少しばかり、カメラ談義になった。この人、日ごろは話し相手がいないらしい。

「ところで、だいぶ若いようだが、あなたは幾つ?」 

 この頃、こんな聞かれ方をしたことがない。

「間もなく75歳ですよ」  年齢を隠す年頃でもない。私は素直に答えた。

「若いねえ!私の歳までは、まだまだ20年もあるんだ。若いっていいなあ!」

 笑顔を見せながら、老人がしみじみと言った。

 私としては、ついぞそんな言われ方をしたことがなかった。

「お元気そうですねえ、お幾つなんですか?」 ついに訊ねてしまった。

「97歳。もう年をとったねえ。フアッ、フアッ、フアッ」  老人は大きく口を開けて笑った。

 小雨がぱらついたり、日差しがあったりして、とても蒸し暑い日だった。

 しかし私にとっては、元気をもらえた一日であった。

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老いてますます

2009年07月08日 05時33分06秒 | 身辺雑記

 今日も仲間の自慢話をします。大汐会のメンバーのことです。

 私たちのほとんどは、スポーツ大好き人間です。

 以前の大汐会例会は、ソフトボールがセットなっておりました。

 しかし、寄る年波には勝てず、ソフトボールがやがてゴルフに変わりました。

 今や、そのゴルフもしなくなり、もっぱら「呑み会」になってしまいました。

 そんな中で、しっかりとアスリートをしている仲間がいます。

 その中の一人、A.K君。 三段跳びの選手で、若い頃は国体に出場しておりました。

 ところが今は、国際大会に出場しています。「マスターズ」というヤツらしい。

 55歳以上とか、60歳以上とかに分けて競技するようですが、幾度かは優勝しています。

 世界制覇なのですから、絶賛してもし過ぎはでないと思います。

 幾度か、賞状をを見せてもらったことがあります。

 しかしこれも、日ごろの研鑽があってのこと、申すまでもありません。

 ソフトボールの全国大会に、県代表として出場しているのは、K.T君。

 高校球児だった彼は、現在も捕手をやっているのですから立派なものです。

 ここのところ、膝を痛めているらしく、支障が出なければいいと念じております。

 今年の全国大会は北海道で開催されるとか。さあ、どんな結果になるでしょうか。

 成果は来年の大汐会の席上で、「近況報告」として披露されます。

 そのほかにも、太極拳の師範格、社交ダンスの達人、ブルーローズの研究など、多士済々が揃っています。

 私・・・?私は昔話ばかりをしています。

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危ないなあ

2009年07月05日 11時13分29秒 | 身辺雑記

 麻生政権の末期という声が大きい。

 私は違うと思っている。

 日本の政治の危機と思っている。

 私は年甲斐もなく熱っぽい。熱くなってものを言う癖がある。いつもこれで失敗する。

 しかし、今の私にはその気持ちが湧かない。

 北朝鮮が、またミサイルを発射した。さほどの問題ではなかろう。しかし、必死の様相だ。

 日本はどうか。

 何をしようとしているのか。

 知事選挙や市長選挙、そのあとの都議会議員選挙の結果待ちらしい。

 政治家は、議員選挙に際する国民の行動を見ている。

 民意を尊重するため?

 とんでもない。どう動けばトクになるか、吹く風を読み取ろうとしているだけ。

 自分の信念もない。意思もない。信条もない。

 この国をどの方向に進めるのか、強く示そうとしてくれない。

 何かを指摘されれば、「今、マニフエストを纏めています」、と逃げている。

 私たちは、そのような政治家に国の行方を委ねている。

 危ういなあ。

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私の明け暮れ

2009年07月04日 05時18分41秒 | 身辺雑記

 私は理屈っぽい。人がどのように見ているかは知らない。自分ではそう思っている。

 論理的とは意味が違う。しかし、非論理的な男だとも思っていない。

 Aであるためには、Bでなければならない。

 Bであるためには、CかDでなければいけないな。

 CかDでなければ、Aにはならないのだな。うーん、そいつは参ったなあ。

 ここで言っている理屈とは、その程度のことだ。

 現実はどうか。

 Aであるためには、CかDでなければいけないのだな。よし、それではZで行こう!

 Aであるためには、CかDなのだな。そこまでは考える。かなり理詰めで行く。

 しかし、その延長線上で展開することはなく、方向違いの「Zで行こう!」となるのだ。

 どうしてそのようになるのだろうか。自分でもよく分かっていない。

 たとえば囲碁の話。

 戦いは中盤戦に入った。

 A点、B点、C点が戦いの中心だ。ヘボはヘボなりに、A点、B点、C点について考える。

「このように打ったら、相手はどう打ってくるだろうか?」

 それなりに考え、結論が出かかったのに、私の右手はまったく考えてもいなかったZ点へ石を置いてしまう。

 この傾向は若い頃からだ。だから老化現象ではない。

 海へ行こうか、山へ行こうか、それとも映画にでも行こうか。

 いろいろと考えた末に、いっそ「寝ていよう!」という結論。

 このように思考を展開させながら、私の日夜は明け暮れしている。

 みなさん、そんなクセはありませんか?ないですよねえ。

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