規則とモラル

2011-02-13 05:39:05 | Bicycle
ウチの長女が、学校の規則(校則)が細かくてウザいという。
生徒手帳に書いてある校則は…まぁ、ウチらの頃とそんなに変わらん。
ウチらですら『面倒くせぇ(当時「ウザい」という言葉は無い)』と思ったくらいだ…。
それから『ん十年』経っているわけだからさ、長女の言うことも『御尤も!』だが。

でもさ、学校が校則を撤廃しないのには理由があってさ…と、最近思う。

おいらの自転車歴は高校時代のジテツウから始まり、かれこれ 25周年…。
小学校に上がる前に乗れるようになって中学時代までの期間はあるが、ジテツウする訳でもなく、それこそママチャリでの生活の足。
高校3年間のジテツウは、片道 13km…年間 200日として、3年間でざっと 15,600km…。
その3年間で経験したことは『自転車は壊れる』ということ。

雨が降ればチェーンは錆びるし、油切れでギシギシ言うし…。
チェーンは伸びるし、スプロケ減るし…。
ブレーキシューは減るし、ワイヤー伸びるし…。

その辺の面倒を見て調整してやると、自転車は機嫌を直して快適に走ってくれる。
大概、そんな時に落とし穴があって、いい気になって走っていると思いがけない事故に出会う。

停車中のクルマのドアが突然開いて吹っ飛ばされた…とか、
凍結路面に気付かず落車…とか。

『お、調子いいぞ!』と思っている時は、スピードも出る。
スピードが出れば、リカバリは難しくなる…当たり前。
保身の対抗策を考えなければ、快適性と危険性は正比例する…ということ。

単車の常時ライトオン、クルマの夕暮れ時の早め点灯啓発活動やデイタイムライトは、『車両は快適だが危険なもの』という認識の上に成り立つ。
じゃぁ、自転車は?

おいらが高校生の頃は、今の様な技術も無く…。
LED も乾電池型の二次電池も無く、ハロゲンバッテリーライトなんて単一型電池四本でも一瞬で無くなり、
仕方が無いから、夜は重たいブロックダイナモを回して走った。
もちろんノーヘル…。
今思えば、寒気がするほど恐ろしい状態で通学していたんだな…と。
そんな経験があるからこそ、今は保身に慎重だ。

結局、規則は自分を守るための最終防衛ライン。
そう、あくまでも『最終』。



次女には『よく走る』自転車を預ける。
前照灯・尾灯は LED バッテリーライト。
ヘルメット。

中学生にはヘルメットの着用義務が無い。
保護者に着用努力義務も無い。

より快適な(=より危険性が高い)自転車に乗り換える訳だから、そこは納得して保身に努めてもらわねばならん。
女の子の話、顔に傷を作った…なんて、シャレにならん。

学校の規則内で生活していれば、かなり『地味』だがトラブルに巻き込まれるようなことは少なかろう。
学校がリスクを負いたくない分、ハードルを高くしているキライはある。
…が、『規則は自分を守る』という根っこを理解すれば、校則を撤廃しない理由も納得だ。

交通ルールは最終ライン。モラルはその上の話だが…。
『ママチャリよりも危険』と分かっている以上、ヘルメットは譲れないライン。
自分でそこの判断が出来るように啓蒙するのが親の務め。

ルール・規則がある理由…。
モラルを考える理由…。
同じ根の上の枝葉であると、どう教え、どう理解するか…。

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