痛恨

2012-12-08 12:22:08 | Daily Life
毎年毎年…で恐縮なのだが、今日は 12/8 真珠湾攻撃の日だ。
未だに『戦後』とひと括りにされる『あの戦争』が始まったのが 71 年前の今日。

おいらにとってこの日は特別で、毎年この日にこの問題を取り上げている。
2011/12/8 の記事
2010/12/8 の記事

選挙戦にやられて、この記事が新聞に載ることはないかな…と思っていたが、朝日新聞の『天声人語』に載った…ちょっとホッとする。

 思えば、標語の技には進歩がない。「新体制で国を強く明るく」。どこかで見たような幟(のぼり)が大阪に現れたのは1941(昭和16)年初めだ。夏には優秀児を選び出して遺伝調査が始まる▼「云(い)うな不平。漏らすな秘密」。行楽先で軍港や駅をうっかり撮影し、捕まる人が続出した。「国が第一、私は第二」「聖戦へ、民(たみ)一億の体当(たいあた)り」と標語は熱くなり、71年前のきょう、日本軍は真珠湾を奇襲する。この痛恨の日を、各党のスローガンが飛び交う中で迎えた▼内外の流血を結晶させた平和憲法が、選挙の争点にされている。政権に戻る勢いの自民党は9条を変え、自衛隊を国防軍にするという。呼び替えだけでは済むまい。海外で米国と共に戦う集団的自衛権までが、景気や原発と並べて語られる▼戦争観は世代で違うが、国民の8割は戦後生まれ。悲惨を肌で知る人は少ない。核保有の利を唱える石原慎太郎氏にしても、終戦時は12歳だった。しかも、国防を声高に論じているのは、何かあっても銃を持たされる年齢層ではない。政治家も、我ら言論人も▼有名な「欲しがりません勝つまでは」は開戦の翌年、「国民決意の標語募集」の入選作である。主催は大政翼賛会と、朝日、毎日、読売の各紙だった。政治とメディアが単色になる危うさを思い起こしたい。右へ倣えを、他国も案じている▼〈この子らに戦(いくさ)はさせじ七五三〉水野李村(りそん)。国を守る決意もいいけれど、戦没者の悔しさを思い、孫子の顔を浮かべての一票も悪くない。
朝日新聞デジタル:天声人語より 2012/12/8 全文掲載)



何しろ、日本人と言うヤツらは自分たちが犯した過ちを『ごめんなさい』と素直に反省できないらしく、鬼畜米英は戦後一転して『憧れの的』となり、高度成長で先進国の仲間入りを果たしてもアジアに対しての偏見は残り…。

新聞記事の中にある『痛恨』の一文字に、そういう視点で捉えられる記者が居られることを嬉しく思う。

大きな記事にならない。
だからこそ、毎年取り上げている。

『痛恨』を日本人全体で共有しなければならない。

悪い報告は真っ先にして、非を認めてその後の最善を尽くすのがビジネス社会の王道。
『あの戦争』の痛恨は周知の事実、非を認める…その為に、この日を忘れないようにしなければならない。

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