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『藤橋城(ふじはしじょう)』のこと。

2008-05-02 21:09:10 | 岐阜発!観光情報
先日、現地の会議終了後、当ホテルの社長と二人連れで、試験放流を始めた『徳山

ダム』を訪ねたことはこのブログでも綴ってみました。

今日は、その徳山ダムの約10分ほど手前にあった謎の施設のことです。

ホテルから車で約70分ほどです。

    

『藤橋城(ふじはしじょう)』です。

どう見てもお城でしょ!

場所は、揖斐郡揖斐川町332の1です。

旧藤橋村です。水没して廃村となった徳山村と合併したことでも知られた村でし

た。

    

やっぱりお城にしか見えません・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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実はプラネタリウムなのです。

『西美濃プラネタリウム』です。

全国でも珍しい「お城」の外観です。1階がプラネタリウムです。

9.2mのドームスクリーンにその晩の星空を映し出し今は珍しい職員の生解説に

よる星空案内が楽しめるようです。

2階は、星の展示室、3階は藤橋の歴史と民族の紹介、4階は展望室となったいま

す。

    

どうしてここにお城の形をしたプラネタリウムを造ったのかこの地の歴史とともに

紹介します。

私も勉強しました。

  「歴史」
南北朝時代、南朝側の新田義貞が、北朝側の土岐氏に対抗し築城したとされる。資料によっては築城時期が1400年頃となっているが、1400年頃では新田義貞
はもう生存しておらず、南北朝時代も終わっているため、矛盾がある。この付近には、多数の山城があり、南朝勢力側の砦があったのは事実である。廃城時期は不明。
この地(当時の地名では美濃国大野郡杉原村)は美濃国から越前国、近江国に抜ける戦略上重要な地であった。この地の住民に杉原家盛があり、後の豊臣秀吉の正室のねねがこの家から輩出される。

   「現在」
藤橋城(正式名は、杉原砦)は、歴史の陰に隠れる運命にあったが、1989(平成元年)年、旧藤橋村がこの地に西美濃プラネタリウムを建設。外観を天主閣風にして、藤橋城と名付けた。
これにより藤橋城の名が一般的になりつつある。
かっての杉原砦の跡は、全くなく、説明の看板があるのみとなっている。城址として見るべきでなく、完全な観光地として成立している。

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お城の側には、宅山ダムの放流が始まった揖斐川がながれています。

    

また、お城の通りをはさんで向い側には、民族資料館がり、かやぶき屋根の民家5

棟が復元され紙すきやトチノキの木曳きなど古い道具の展示もされているとのこと

です。

この日は時間もなく、プラネタリウムなど城内には、民族資料館とともに入ってい

ません。

    


    

藤橋城の入場料は、資料館と共通で、大人500円となっていました。

藤橋城の連絡先は、 ℡0585(52)2611です。

徳山ダムの見学のコースに当然、気になるところです。

再度、徳山ダムを訪ねたとき、今度は、中まで入り見てきたいと思っています。