2月16日~2月18日の3日間、長良川温泉から『白川郷ツアー』を2.000
円でご案内します。
まだ、席に余裕がありますので、ぜひ、この機会に長良川温泉に宿泊して、『冬の
白川郷』を旅しては如何でしょうか!
詳細は、このHPのトピックスで、紹介していますが、今日は、『白川郷』を世界
にむけて、紹介した、『ブルーノ・タウト』のことです。
世界的な建築家のブルーノ・タウトは、1933年3月5日のナチス政権成立を目前
とした3月1日、その支配体制から逃れる為、母国ドイツをあとにし、妻を伴い、
その足跡を日本、そしてトルコ共和国に残しました。
日本には、昭和8(1933)年5月に来日し、昭和11年(1936)年10月に日本を
離れるまで3年半を過ごしました。
その間、建築家としては、わずか2作品を実現させただけですが、滞在中に2冊の
本を残し、世界に日本の建築物などを紹介しました。
特に、京都の桂離宮や白川郷の素晴らしさを紹介しています。
図書館で借りて読んでみた本です。
「タウトが撮ったニッポン」です。
沢山の写真が、日記とともに紹介されていました。
貴重な写真もありました(のちほど紹介)
ブルーノ・タウトは、御母衣の遠山家を調査する目的で白川郷を訪れたそうです。
1935年(昭和10年)のことです。
白川郷を訪れたタウトは、「この辺の風景は、もうまったく日本的ではない。
少なくとも、私がこれまで一度も見たことの無い景色だ。
これは、むしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ。」と著書の『日本美の再
発見』の中に書き綴っています。
山の中に4~5階建てのビルにも匹敵する高さにその当時の日本の家屋にない独特
な構造から、びっくりして、タウトは、”日本的ではない”と言ったのでしょう
か?
もっともタウトが訪れた当時は、まだ、300棟位の合掌造りの家屋があったと言
われていますので、凄い眺めだったと想像できます。
(おまけ)
日記の中に、こんな写真もありました。
1934年10月31日の日記です。
渋谷駅にいる、忠犬「ハチ公」です。
そこで、6年間も死んだ主人を待っていると書かれていました。
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冒頭で、紹介した通り、タウトが日本の滞在中、多くの建築家や工芸デザイナーに
影響をもたらしましたが、実際に残した作品は、2作品しかありません、そののう
ち現存する一つが熱海にあります。
「日向別邸」です。今は、熱海市の所有で、ブルーノ・タウト記念館として公開
されています。
熱海は、さておき、世界的建築家が、世界に紹介した、『白川郷』を特にこの冬に
時期に旅してみませんか!
タウトが見た、スイスの幻想・・・・ 日本的でない・・・・・
『白川郷』をこの目で見てみましょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・