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ちょっぴり恨めしい日々 大正10(1921)年9月25・26日

2009-09-20 12:21:34 | スタッフ日記
 まもなく、9月25日、26日がやって来ます。
 実はこの日々は当館にとってちょっぴり恨めしい日なのです。
 そのいきさつは、かのノーベル文学賞作家・川端康成に関わります。

 当館と川端康成との関係は、このホームページの「川端康成ゆかりの宿」を参照していただきたいのですが、川端康成の初恋の女性は岐阜に住んでいて、この大正10(1921)年、彼は求婚のため岐阜を三回訪れているのです。

 当館は彼のお気に入りの宿でした。
 ですから、この年の秋、その女性に求婚するため岐阜を訪れた折りにも当然のごとく当館へ泊まろうとしたのです。
 ところがです、本当に残念なことに、9月25・26日の台風で大きなダメージを受けていた当館はとてもお客様をおもてなしできる状態ではなく、不本意ながらそれをお断りせざるを得ませんでした。

        
                往時の当館の偉容


 そこで川端康成の一行は、この台風は北風だったから南岸のみなと館はやられているが反対の北岸にある旅館ならいいだろうとということで、当館とは長良川を挟んだほぼ正面の鐘秀館という宿に宿泊し、そこで婚約が成立するのです。
 なんか、当館としてはいいとこ取りをされた様な気もするのですが、鐘秀館さんも老舗の旅館ですからそれはそれで納得できます。この鐘秀館さん、戦後もずーっと営業していらっしゃったのですが、今は地元の銀行の研修センターになっています。

         
            往時の長良川、金華山、そして長良橋
            橋の向こうに当館がちらりと見える


 ところで、彼のプロポーズはその折りは受け入れられるのですが、その後、女性の方から一方的に破棄されます。その事情はいろいろ推察されるのですが、もしそのプロポーズが当館で行われていたらなどと考えるのは今はなき鐘秀館さんにたいして失礼ですよね。
 まあ、いってみればその折りの失恋が川端康成を後年、文豪にしたともいえるわけです。『伊豆の踊子』などの女性像も、岐阜の彼女が原型ではないかとする研究者もいるようです。

              
              晩年の川端康成氏

 といったわけで当館にとってはちょっと恨めしい9月25・26日なのですが、この日は台風がらみでもうひとつの歴史を持っています。
 今からちょうど50年前、名古屋市を中心とした地域で数千人の犠牲者を出した伊勢湾台風がやって来たのがこの日なのです。それを記念して今年は名古屋を中心にいろいろ慰霊の行事が行われるようです。
 
 川端康成と当館の歴史に刻み込まれた9月25・26日という日を思いつつ、同時に、伊勢湾台風の犠牲者に哀悼の意を捧げたいと思います。
 あ、話が湿っぽくなりましたね。
 でも、これも老舗がもつ歴史の一面、ここではそうしたこともぶっちゃけて書いてゆきますね。
 喜怒哀楽、すべてが当館の歴史に刻み込まれているのですから・・・。