■真夜中の太陽/ジョー・ネスボ 2019.5.20
2019年版 このミステリーがすごい!
海外篇 第19位 真夜中の太陽
ジョー・ネスボの作品は、読むのは、これが2作目。
『その雪と血を』 を楽しく読んだので、今回も大いに期待していた。
期待を裏切ることなく、面白かった。 『真夜中の太陽』
最果ての地に逃れた殺し屋ウルフは、狩猟小屋に隠れ住む。
隠れ住んだはずのウルフだが、人口密度の少ない寂れた村で少なくない人と接してしまう。
それでは、目立ってしまうよね。 案の定。
ドンパチもなく、物語は静かに流れゆくのだが......。
ミステリーと言うより 『真夜中の太陽』 は、一級の恋愛小説だね。
この物語をどう始めたらいいのだろう。事の起こりから話すと言えばいいのだが、事の起こりがどこなのかわからない。誰しもそうだが、おれも自分の人生における因果の本当のつながりなど、正確にわかってはいない
「南部人てのはどいつもこいつも」そう毒づいて、アニタは手をもぎ離した。「いいじゃない、手っ取り早く一発やるぐらい。人はみんなじきに死ぬんだよ、知らなかった?」
「いや、噂に聞いたことがある」と言いながら、おれはあたりを見まわして適当な脱出路を探した。
「うん」
「あたしを見て。見てってば! 約束する?」
「もちろん」
「よし、ちゃんと聞いたからね。約束だよ。アニタとの約束はかならずまもってもらうからね。あたし今、あんたの魂に杭を打ちこんだから」
おれはごくりと唾を呑みこんで、うなずいた。
「ありがとう」手を差し出すと、こんどは握ってくれた。日差しで温められたすべすべの石のような、がっちりとした温かい手だった。
レアは肩をすくめた。「女というのはかならず、折り合いをつける方法を見つけるものよ」
何を考えてたんだおまえは? おれたちみたいなふたりが一緒になれるとでも? いや、考えていたわけじゃない。夢を見ていたんだろう。そうやって人の心は幻や妄想を創りあげるのだ。そろそろ眼を覚ませ。
酒は最悪の闇を流し去ってはくれたものの、レアをおれの心と頭から流し去ることはできなかった。今まで気づいていなかったとしても、これではっきりと悟った。おれは愚かなまでに、絶望的なまでに、どうしようもないほどに恋をしていた。またしても。
おれは自分を笑った。笑わずにはいられなかった。なにしろヘマをしでかして死を宣告された殺し屋が、こんなに酔っばらって寝ころんで、あなたには二度と会いたくないと、おれについ今しがた、それも明快な言葉で告げたばかりの女と、末永く幸せに暮らすつもりでいるのだから。
ジョー・ネスボは、作品の中で人生についてしみじみと語ります。
人間というのはでっちあげの論理でいろんな物語をためこんで、人生になにがしかの意味があるように見せかけるものだ。
ものごとというのはなんでも最初がいちばん難しい。
「おまえの気に入りの言い回しは、“なんでも最初がいちばん難しい”だそうだな。おまえは運がいいぞ。もう初めてじゃないわけだから」
「お父さんのこと、恋しい?」
「いや」
クヌートはためらった。「いい人じゃなかったの?」
「いい人だったと思う。だけど、人間てのは子供のころを忘れるのが得意だからな」
「そんなこと許されるの? 父親を恋しがらないなんてこと」クヌートは小声で訊いた。
人生のほとんどは、自分にできないことに挑戦することだ。勝つより負けることのほうが多い。
人間というのはやはり共通点を持っているのかもしれない。何かしっかりしたものにすがりつきたいという気持ちを。
あいつがチャールズ・ミンガスにしろ、ほかのミュージシャンにしろ、おれの持っているジャズのレコードを本当に好きだったのかどうかわからない。惨めな男がもうひとりそばにいてほしかっただけなのかもしれない。だがときおり、おれたちは同時に夜の暗黒にはいりこんだものだ。
「さあこれでおれたちはとことん惨めだ!」あいつはそう言って笑った。
トラルフとおれはそれをブラックホールと呼んでいた。
「あんたは追い剥ぎだ、マッティス」
「あしたの朝のうちに来てくれ。もう一本おまけしてやるからさ。酒と沈黙だよ。ウルフ。きちんとした酒と、きちんとした沈黙。そういうものには金がかかるもんさ」
《漁師》のような商売人は、そうやって縄張りを守るのだ。自分をだまそうとしたらどんな目に遭うか、噂とデマと真実を取り混ぜて。
このユーモアの感覚も、なかなか、味わい深いと思いませんか。
『 真夜中の太陽/ジョー・ネスボ/鈴木恵訳/ハヤカワ・ミステリ 』
2019年版 このミステリーがすごい!
海外篇 第19位 真夜中の太陽
ジョー・ネスボの作品は、読むのは、これが2作目。
『その雪と血を』 を楽しく読んだので、今回も大いに期待していた。
期待を裏切ることなく、面白かった。 『真夜中の太陽』
最果ての地に逃れた殺し屋ウルフは、狩猟小屋に隠れ住む。
隠れ住んだはずのウルフだが、人口密度の少ない寂れた村で少なくない人と接してしまう。
それでは、目立ってしまうよね。 案の定。
ドンパチもなく、物語は静かに流れゆくのだが......。
ミステリーと言うより 『真夜中の太陽』 は、一級の恋愛小説だね。
この物語をどう始めたらいいのだろう。事の起こりから話すと言えばいいのだが、事の起こりがどこなのかわからない。誰しもそうだが、おれも自分の人生における因果の本当のつながりなど、正確にわかってはいない
「南部人てのはどいつもこいつも」そう毒づいて、アニタは手をもぎ離した。「いいじゃない、手っ取り早く一発やるぐらい。人はみんなじきに死ぬんだよ、知らなかった?」
「いや、噂に聞いたことがある」と言いながら、おれはあたりを見まわして適当な脱出路を探した。
「うん」
「あたしを見て。見てってば! 約束する?」
「もちろん」
「よし、ちゃんと聞いたからね。約束だよ。アニタとの約束はかならずまもってもらうからね。あたし今、あんたの魂に杭を打ちこんだから」
おれはごくりと唾を呑みこんで、うなずいた。
「ありがとう」手を差し出すと、こんどは握ってくれた。日差しで温められたすべすべの石のような、がっちりとした温かい手だった。
レアは肩をすくめた。「女というのはかならず、折り合いをつける方法を見つけるものよ」
何を考えてたんだおまえは? おれたちみたいなふたりが一緒になれるとでも? いや、考えていたわけじゃない。夢を見ていたんだろう。そうやって人の心は幻や妄想を創りあげるのだ。そろそろ眼を覚ませ。
酒は最悪の闇を流し去ってはくれたものの、レアをおれの心と頭から流し去ることはできなかった。今まで気づいていなかったとしても、これではっきりと悟った。おれは愚かなまでに、絶望的なまでに、どうしようもないほどに恋をしていた。またしても。
おれは自分を笑った。笑わずにはいられなかった。なにしろヘマをしでかして死を宣告された殺し屋が、こんなに酔っばらって寝ころんで、あなたには二度と会いたくないと、おれについ今しがた、それも明快な言葉で告げたばかりの女と、末永く幸せに暮らすつもりでいるのだから。
ジョー・ネスボは、作品の中で人生についてしみじみと語ります。
人間というのはでっちあげの論理でいろんな物語をためこんで、人生になにがしかの意味があるように見せかけるものだ。
ものごとというのはなんでも最初がいちばん難しい。
「おまえの気に入りの言い回しは、“なんでも最初がいちばん難しい”だそうだな。おまえは運がいいぞ。もう初めてじゃないわけだから」
「お父さんのこと、恋しい?」
「いや」
クヌートはためらった。「いい人じゃなかったの?」
「いい人だったと思う。だけど、人間てのは子供のころを忘れるのが得意だからな」
「そんなこと許されるの? 父親を恋しがらないなんてこと」クヌートは小声で訊いた。
人生のほとんどは、自分にできないことに挑戦することだ。勝つより負けることのほうが多い。
人間というのはやはり共通点を持っているのかもしれない。何かしっかりしたものにすがりつきたいという気持ちを。
あいつがチャールズ・ミンガスにしろ、ほかのミュージシャンにしろ、おれの持っているジャズのレコードを本当に好きだったのかどうかわからない。惨めな男がもうひとりそばにいてほしかっただけなのかもしれない。だがときおり、おれたちは同時に夜の暗黒にはいりこんだものだ。
「さあこれでおれたちはとことん惨めだ!」あいつはそう言って笑った。
トラルフとおれはそれをブラックホールと呼んでいた。
「あんたは追い剥ぎだ、マッティス」
「あしたの朝のうちに来てくれ。もう一本おまけしてやるからさ。酒と沈黙だよ。ウルフ。きちんとした酒と、きちんとした沈黙。そういうものには金がかかるもんさ」
《漁師》のような商売人は、そうやって縄張りを守るのだ。自分をだまそうとしたらどんな目に遭うか、噂とデマと真実を取り混ぜて。
このユーモアの感覚も、なかなか、味わい深いと思いませんか。
『 真夜中の太陽/ジョー・ネスボ/鈴木恵訳/ハヤカワ・ミステリ 』