ゆめ未来     

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P分署捜査班 寒波/マウリツィオ・デ・ジョバンニ

2023年04月10日 | もう一冊読んでみた
P分署捜査班 寒波 2023.4.10

不祥事のあった“ピッツォファルコーネ署”は、“吹き溜まり”。
鼻つまみ者の刑事たちが冷や飯を食らう所。
市警各署の “ろくでなし” の捨て場になるはずだった。

ろくでなし刑事たちは、それぞれ悩みや人生の課題を抱えながらも意外に真面目できわめて有能。
事件解決に誠実に精一杯取り組む。

 つまるところ、同僚たちは役立たずどころか有害な欠陥品をうまく排除したと悦に入っていて、それが間違いだったと認めたくないのだ。とくに、パルマのような新米署長がろくでなしどもを捜査班と呼ぶにふさわしいチームに変身させたなどとは、頑として認めない。
 シチリア人警部はマフィアの内通者だと疑われてサン・ガエターノ署に飛ばされ、コンピューターでカードゲームをして時間つぶしをしていた時期もあるが、超一流の捜査官だった。ポジリッポ署で口の達者な容疑者を素手で絞め殺しそうになった凶暴な男は、じつは規律に忠実で知性的だった。分署のなかで発砲した頭のいかれた若い女は、思いやりと決断力を兼ね備えた警察官に変身した。有力なコネがなければ、無能を理由に警察から追い出されていたに違いない道化師まがいの若造は、直感が鋭く抜け目がない。そして、スキャンダルの嵐の生き残り組ふたり----常軌を逸した夢追い人の老副署長と、秘書程度に見られていたコンピューターの達人にしておだやかで賢明な女性警察官---は悄報の宝庫だった。だが、バカは死ななきゃ治らないと決めつけている人々は、容易に納得してくれない。
 パルマは分署に戻る車中で、県警本部長との会話を思い返した。部下はみな優秀な刑事だと断言したのに対し、本部長は見切りをつけろと忠告した。老年の直属上官は、熱心で頑固なパルマに若き日の自分を重ねているのか、目をかけてくれる。キャリアに傷がっきかねないと案じて、名誉ある撤退を勣めているのだ。だが、きっとできる。部下たちは優秀であるばかりでなく、白分たちの力を世間に知らしめたい意気込みを持っている。


ピッツォファルコーネ署の生き残り、副署長のピザネッリと副巡査部長のオッタヴィアは署の癖のある刑事たちをよくまとめ、情報収集にもたけている。

ピザネッリには、悩みと自分ひとりでコツコツと追いかけている事件がある。
これを追いかけることが生きる糧になっている。今、退職するわけにはいかない。
ピザネッリもまた、悩みを抱えて生きている。

 オッタヴィアは余計なことを訊かずに、さっさとメモを取っていく。きわめて優秀だが、異性を好み、母性が強く、ロマンチックで繊細とあっては、わたし好みではない。でも、友人としてなら、歓迎できる。
 前任署で発砲騒ぎを起こしたのちに飛ばされたいまの署の同僚たちは、いい意味で予想を裏切った。市警の全員から“ピッツォファルコーネ署のろくでなし”とさげすまれる、過去に傷を持ち、持て余されていた同僚たちはみな、仕事に精通していた。アレックスも含めて。
 それぞれに欠点があることは認める。だが、欠点のない人間はいない。ロマーノは激怒すると理性を失う。ロヤコーノは故郷のシチリアで、マフィアの内通者と糾弾された。アラゴーナはとめどなくしゃべり散らし、うっとうしい。ピザネッリは偽装自殺に執着し、オッタヴィアはどうやら息子に問題があるらしく、しょっちゅう勤務中に帰宅する。小さいにしろ、大きいにしろ、それぞれが十字架を背負い、永遠に消えない悔悟の念を抱えて生きている。ときに仲間のぶんも少し肩代わりして。


 お客さん。
 その言葉につられたかのように、ピザネッリはトイレに駆け込んだ。排尿は例によって困難で苦痛を伴い、便器に血が滴った。お客さん----前立腺がんのせいだ。
 このことは内緒にしている。うつ病や、何年も前に他界した妻に話しかける奇癖を内緒にするのと同じだ。知られれば退職を余儀なくされ、殼に閉じこもっての孤独な闘いを強いられる。
 闘いの結末は明らかで、それがいつになるかがわからないだけだ。
 無理やり笑頗を浮かべてキッチンに戻った。カルメンに悲しい顔を見せたくなかった。
 妻はいまだにこの家にいると、ピザネッリは信じている。床に伏す前の明るくほがらかな妻だ。ミイラのように痩せ衰え、生きている価値はないと決心する前の妻だ。夫を見守り、その言葉に耳を傾け、一緒に考えてくれていると信じている。手と目を持っていたときと変わらずに、皺に触れ、表情を読み取っていると信じている。
 愛は偉大だからだ。ピザネッリはそう考える。美しくて意義深く、重要で、生きているかどうかは関係ない。
 話したいことがたくさんあるんだ。きみ。きょうは大変な一日だった。パスタを作るあいだ。そこに座って話を聞いておくれ。
 ピザネッリは、まさに家に帰ったのだった。


ろくでなしの刑事たちも、人の子であり親である。
家族との悩みも抱えている。

 ヴィニーとパコが同性愛者であることは、服や仕草、言葉にことさら注意を払うまでもなく、ふたりのあいだ漂う空気でわかった。そして、ふたりに親しみを覚え、またうらやましくも、誇らしくもあった。最近は、こうした感情を頻繁に持つようになった。自分を偽って人生から目を背けていることへの不満、ほんとうの自分、ほんとうの気持ちを正直にさらけ出す勇気がない悔しさがとみに増していた。
 なぜなら、アレックス・ディ・ナルド巡査長補もまた、同性を愛するからだ。レズビアンと呼ぶのよね----分署と電話がつながるのを待ちながら、思った。わたしはレズビアン。
 それを意識したのは、思春期に寄宿学校に入っていたときだった。発達段階でもなければ、環境の影響でもなかった。失恋したためでも、性的暴行を受けたためでもない。知ったかぶりの批評家が同性愛を病気であるかのように語っているのをテレビで見るたびに、アレックスは内心で苦笑する。わたしの病気はレズビアンであることではなく、それを公言する勇気がないことだ。


人生には、恋がつきもの。

 ロヤコーノは、昼食はレティツィアのところにしようとアレックスを説得した。
 レティツィアとはこの街に赴任してすぐ知り合い、たちまちのうちに友情が育まれた。ある夜、帰宅途中にゲリラ豪雨に見舞われて店に入り、雨宿りを兼ねて夕食をとったのがきっかけだ。長身で引き締まった体躯と東洋人のような容貌を持ち、隅のテーブルにぽつんと座って料理をむさぽるロヤコーノを目にしたとたん、レティツィアは興味を引かれた。価格に恐れをなして来なくなっては大変と、スタッフがあきれるのをよそに、ほぼ半額しか請求しなかった。
 経営軒なので、そのへんのところは自由が利く。
 レテイツィアの庶民的で素朴なトラットリアは、ロコミでどんどん人気が高まって、いまでは常にキャンセル待ちの状態だ。最高の料理と申し分のないサービスに加え、看板メニューのいくつかは街の名だたる食通を惹きつけてやまない。評判を耳にしてお忍びで訪れた高名な評論家ふたりは、雑誌やガイドブック、ウェブマガジンで店を絶賛した。
 料理の味だけでも通う価値があるが、店主の存在が店の魅力をさらに増していた。レティツィアは四十路で豊満な美人、おおらかな笑顔が周囲を明るくする。毎日、自ら市場に出向いて、母親が家族のために選ぷように注意深く食材を厳選し、入念に下ごしらえをしたあとは信頼する助手に厨房を任せ、心を込めて客をもてなすのが常だ。夜が更ければギターを抱えて、広いレパートリのなかからひとつ、二つを方言で歌い、その腕前はプロの歌手もかすむほどだった。最後に残った食事客はこれを目当てに、なかなか腰を上げようとしない。
 当のロヤコーノは自分がどれほどの恩恵に浴しているか、まったく自覚していなかった。レティツィアにとても好意を持たれていることにも----助手から下働き、ウェイターに至るまでの全員に明らかなのだが----まったく気づいていなかった。決まった恋人のいないレティツィアは、どの男性客にも愛想よく接し、ひとりひとりに微笑とともにナポリの伝統的なケーキ、パスティエラをサービスするが、気を持たせるような振る舞いはしなかった。いっぽう、ロヤコーノはいくらレティツィアが興味を持ってもどこ吹く風だ。いまや、店の外に順番待ちの長い列ができようと、隅のテーブルは常に空けられていて、“予約席”と書かれた小さなカードと新鮮な花を一輪入れた小さな花瓶が載っている。今回のようにロヤコーノがしばらく顔を見せないと、レティツィアの心は沈む。だが、彼の娘マリネッラとは女どうしの複雑な友情で結ばれ、彼女を通じて警部の様子や恋敵のピラース検事補の動向を知ることができた。検事補は自分と違って、言い訳を必要とせずに警部に電話できると思うと、レティツィアは気が気ではなかった。


 アレックスはくすくす笑った。
「ふうん、ところで、警部はシ二ョ-ラ・レティツィアに好意をもたれているって、わかってます?」
「なにをバカな! ただの友だちだよ。男と女のあいだに友情は成立しないと信じているのか? この街に来たばかりのとき、偶然知り合っただけだ。彼女とのあいだにはなにもない」
「成立しないなんて、言ってませんよ。でも、彼女は警部に夢中だわ。女はこういうことはピンとくるんです。とてもいい人みたいだから、傷つけないでくださいね」
「そいつはどうも。ロマンスに関する忠告までしてくれるとは、ピッツォファルコーネ署は至れり尽くせりだ。ろくでなしに加えて、聖人、詩人、道案内まで取りそろえている」
 アレックスは吹き出した。
「アラゴーナに聞かせたいわ。こわもて刑事を自負しているのに、聖人にたとえられたと知ったら、かんかんになる。アラゴーナと言えば、ロマーノと調べている女生徒の件はどうなったのかしら。訊いてみなくちゃ」


 「どうぞ」
 「ありがとう」
 あーあ、これでおしまい。心をとらえて離さないイリーナと再度親密な会話を交わすのは、あすの朝まで待たねばならない。一日とは、この「ありがとう」と「どうぞ」とのあいだに挟まれた瞬間でしかない、とアラゴーナはしみじみ思うのだった。


『P分署捜査班 寒波』は、人生と家族愛を詩情ゆたかに謳い上げたミステリでした。

 『 P分署捜査班 寒波/マウリツィオ・デ・ジョバンニ/直良和美訳/創元推理文庫 』


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