■永遠と横道世之介 2023.11.27
吉田修一さんの『永遠と横道世之介 上』を読みました。
世之介には、この言葉がよく似合う。
まだ春には早く、風も冷たいが、一生懸命探せば、どこかに小さな春がありそうな日である。
「ドーミー吉祥寺の南」の個性的な住人、あけみ、世之介、礼二、大福、谷尻、(一歩)が、食堂に集まりご飯を食べる場面がたびたび描かれる。
ほのぼのと温かく楽しい。笑みがこぼれる。
ぼくも彼らと席を同じくし、相づちをうち、あけみさんの料理は実に美味い!と舌鼓。お腹いっぱい、食べた気になってしまう。
いろいろな料理が出てきて楽しく読める。
interviews/世之介シリーズは出会いの物語だと思う、と吉田さん/
もちろん筆者も含めてだが、人の人生にそうそう派手な物語はないのではないだろうかと思うのである。
もう少し言わせてもらえば、人生というものは、人の一生から、その派手な物語部分を引いたところに残るものではないかと思うのである。
南郷はすぐに引っ張りだことなった。
「W」以外の雑誌の表紙はもちろん、小説やエッセイ集のカバーを飾って、ある時期は書店の棚を席巻した。
そして何よりも当時の南郷の名前を世間に知らしめたのが、「ブルータス」という新人ロックバンドのCDジャケットで、風というのは吹くときには、同じ方向に吹くものらしく、なんとその曲がテレビドラマの主題歌となり、売れに売れたのである。
世之介と出会った当時、南郷が暮らしていたのは東武練馬という駅の近くにある築五十年近い木造アパートである。
当時、池袋に暮らしていた世之介に、
「いいよなあ、おまえんち都会で」
と、よく言っていた。
渋谷区の神山町。隣に松濤という高級住宅街があり、別名「裏渋」と呼ばれる、いわゆる感度抜群な人たちが集まると言われるエリアである。
ここに借りたデザイナーズマンションが、まあ、通常の感覚の持ち主なら笑いを堪えきれないほどオシャレだった。
三階建てのメソネットというのは、まあいいとして、だだっ広い浴室に置かれているのが猫足のバスタブ、その浴室がガラス張りなのもまだ許せるとしても、なんとトイレまでガラス張りで丸見えだったのである。
「さすがにこれ、恥ずかしくないっすか?」
世之介は笑いを堪えた。
「どうせ、今んとこ、俺一人だし。誰に見られるってわけでもねえしな」
「でも、群馬のお母さんとか遊びに来たら、どうするんですか?」
「そん時はカーテンかなんかかけてやればいいだろ」
「だったら、最初から見えないトイレのある物件借りればいいのに」
世之介、正論である。
ただ、この神山町のメゾネットで暮らすようになった頃から、さらに南郷に風が吹く。
.....こうなってくると、もうギャラの桁が二桁ぐらい違ってくる。
まず着るものが変わる。買い物先での「一生もんだからさ」が口癖になる。
それでも似合っていればいいのだが、残念ながら......
服が思い通りにならないならと、次に無駄遣いの矛先が向けられたのが美食である。
塩ごはんにメンチカツでもつけばご馳走ご馳走と騒いでいたくせに、やれミシュランの一つ星の鮨屋だ、やれ京都の老舗の東京店だと、夜毎に食べ歩く。
そのうち、渋谷の神山町から代官山の高級マンションへ引っ越した。......いよいよ所有する車でも見栄を張り出し、買ったのが中古のフェラーリ。
そり格好いいが、生まれて初めて買う車がフェラーリなんて、さすがにやりすぎですよ、と世之介も心配になる。
ちなみに、南郷が飛ぶ鳥を落とす勢いだったこの頃、世之介は一切アシスタントとして声がかかっていない。
仕事の声だけではなく、モデルだ、CAだ、という派手な飲み会や合コンにも一切誘われず仕舞いだったのである。
ただ、なぜか唯一、南郷から連絡があるのが引っ越しの手伝いで、東武練馬から池袋、池袋から神山町、神山町から代官山へと、その全ての引っ越しを世之介は手伝わされている。
「なんかさ、お前と一緒にいると、昔の自分に戻りそうで嫌なんだよな。魔法が解けるみたいに」
とは当時の南郷だが、実はこれはまだ聞いていられる方の言い分で、
「お前みたいなのとつるんでるんだって思われると、俺までダサく見られそうじゃん」
と、もう目もあてられないようなことを、モンスター化した南郷は平気で言っていたのである。
この当時、実際、南郷が寝る暇もないほど働いていたのは事実である。
元々そう体が強くもなく、腰痛や頭痛持ちで、ちょっと無理をすると風邪を引く南郷がこうやって頑張っているのだからと世之介も腹立ちを抑えて応援していたところもある。
ただ、この頃、唯一世之介が南郷と口論したことがあった。
群馬のおばさん(南郷の母親)が、体を壊して入院したのだが、忙しいからという理由で見舞いにも行かなかったのである。
「だって、しょうがねえだろ。時間がないんだから」と南郷。
「群馬なんて車で二時間もあれば行けるでしょ!」と世之介。
「だから、その時間がないんだよ!」
実際、そうだった。それくらい南郷が働いているのは知っていたが、にしても、世之介からすれば、時間を使う順番が違うように思えて仕方なかったのである。
「お前は、こういう状況になったことがないから分からないんだよ。俺がいないと、現場はどうにもならないんだぞ!」
南郷の言う通りである。責任もある。期待もされている。そんな状況に立った経験が世之介にはないから想像がつかない。ただ、群馬のおばさんの寂しさはなんとなく想像できる。父親が早くに他界し、女手一つで育て上げた息子である。その息子が華々しく活躍しているのだから、その邪魔はしたくないという母心まで、なぜだが想像がついてしまう。
結果、世之介が息子に代わって、南郷の母の見舞いに行った。もちろん南郷から頼まれたわけではない。世之介としても、息子の後輩が見舞いに行っても気を遣わせるだけだろうというのは分かっているのだが、入院中の母親に一言、
「あなたの息子さんは本当に忙しいんです」
ということを、知らせてあげたくて仕方なかったのである。
幸い、南郷の母親は歓迎してくれた。
もちろん急激に仕事が減ったわけではない。ただ、本来なら南郷に来るような仕事が、別のフレッシュな写真家の方へ流れていくようになる。
一時期は書店やCDショップを南郷の写真が間違いなく席巻した。しかし、ということは、南郷の写真はどこへ行っても置いてあるものになり、気がつけば、世間は満腹になっていたのである。
当然、南郷本人もその変化に気づき、新しい作風を模索する。
ただ、南郷の新しい試みは、残念ながら悉く的を外していく。ここで南郷に人望でもあれば、まだ救われたのかもしれないが、モンスター化した南郷に人望などあるわけがない。いつしか、「南郷常夫みたいな写真だな」という言葉が、業界内では「時代遅れ」と同義語になっていた。
この頃のモンスターは、もう暴れるだけ暴れていた。
世の中というのは、南郷の母のようにモンスターを一撃で殺して、すぐに次のステージには進んでくれない。生かさず殺さずの状態で、徐々にその立場や権力や財力を奪っていくのである。
そんな生殺しの最中、南郷は頻繁に世之介を誘って飲んだ。飲んだというよりも、暴れに暴れた。暴れれば、元の自分に戻れるとでも思っているようだった。
「……な、なんで生まれてくるかって」
そのときである。思わず声を上ずらせる世之介を神様は見捨てなかったと見え、ふと世之介の脳裏にタシの姿が蘇る。
「……それはあれだよ、何でお前が生まれてきたかって言うとね、前世でお前がいろんな人を大切にしたんだよ。そのいろんな人たちがまた生まれ変わって、今のお前を大切にしてくれてるんだよ。……だから、何が言いたいかって言うと、なんで人間が生まれてくるか、それは、ご褒美だよ。前世でお前がいろんな人にやさしくしてやったど褒美に、今のお前は生まれてきたんです。……い、以上ですが……」
『 永遠と横道世之介(上・下)/吉田修一/毎日新聞出版 』
吉田修一さんの『永遠と横道世之介 上』を読みました。
世之介には、この言葉がよく似合う。
まだ春には早く、風も冷たいが、一生懸命探せば、どこかに小さな春がありそうな日である。
「ドーミー吉祥寺の南」の個性的な住人、あけみ、世之介、礼二、大福、谷尻、(一歩)が、食堂に集まりご飯を食べる場面がたびたび描かれる。
ほのぼのと温かく楽しい。笑みがこぼれる。
ぼくも彼らと席を同じくし、相づちをうち、あけみさんの料理は実に美味い!と舌鼓。お腹いっぱい、食べた気になってしまう。
いろいろな料理が出てきて楽しく読める。
interviews/世之介シリーズは出会いの物語だと思う、と吉田さん/
もちろん筆者も含めてだが、人の人生にそうそう派手な物語はないのではないだろうかと思うのである。
もう少し言わせてもらえば、人生というものは、人の一生から、その派手な物語部分を引いたところに残るものではないかと思うのである。
南郷はすぐに引っ張りだことなった。
「W」以外の雑誌の表紙はもちろん、小説やエッセイ集のカバーを飾って、ある時期は書店の棚を席巻した。
そして何よりも当時の南郷の名前を世間に知らしめたのが、「ブルータス」という新人ロックバンドのCDジャケットで、風というのは吹くときには、同じ方向に吹くものらしく、なんとその曲がテレビドラマの主題歌となり、売れに売れたのである。
世之介と出会った当時、南郷が暮らしていたのは東武練馬という駅の近くにある築五十年近い木造アパートである。
当時、池袋に暮らしていた世之介に、
「いいよなあ、おまえんち都会で」
と、よく言っていた。
渋谷区の神山町。隣に松濤という高級住宅街があり、別名「裏渋」と呼ばれる、いわゆる感度抜群な人たちが集まると言われるエリアである。
ここに借りたデザイナーズマンションが、まあ、通常の感覚の持ち主なら笑いを堪えきれないほどオシャレだった。
三階建てのメソネットというのは、まあいいとして、だだっ広い浴室に置かれているのが猫足のバスタブ、その浴室がガラス張りなのもまだ許せるとしても、なんとトイレまでガラス張りで丸見えだったのである。
「さすがにこれ、恥ずかしくないっすか?」
世之介は笑いを堪えた。
「どうせ、今んとこ、俺一人だし。誰に見られるってわけでもねえしな」
「でも、群馬のお母さんとか遊びに来たら、どうするんですか?」
「そん時はカーテンかなんかかけてやればいいだろ」
「だったら、最初から見えないトイレのある物件借りればいいのに」
世之介、正論である。
ただ、この神山町のメゾネットで暮らすようになった頃から、さらに南郷に風が吹く。
.....こうなってくると、もうギャラの桁が二桁ぐらい違ってくる。
まず着るものが変わる。買い物先での「一生もんだからさ」が口癖になる。
それでも似合っていればいいのだが、残念ながら......
服が思い通りにならないならと、次に無駄遣いの矛先が向けられたのが美食である。
塩ごはんにメンチカツでもつけばご馳走ご馳走と騒いでいたくせに、やれミシュランの一つ星の鮨屋だ、やれ京都の老舗の東京店だと、夜毎に食べ歩く。
そのうち、渋谷の神山町から代官山の高級マンションへ引っ越した。......いよいよ所有する車でも見栄を張り出し、買ったのが中古のフェラーリ。
そり格好いいが、生まれて初めて買う車がフェラーリなんて、さすがにやりすぎですよ、と世之介も心配になる。
ちなみに、南郷が飛ぶ鳥を落とす勢いだったこの頃、世之介は一切アシスタントとして声がかかっていない。
仕事の声だけではなく、モデルだ、CAだ、という派手な飲み会や合コンにも一切誘われず仕舞いだったのである。
ただ、なぜか唯一、南郷から連絡があるのが引っ越しの手伝いで、東武練馬から池袋、池袋から神山町、神山町から代官山へと、その全ての引っ越しを世之介は手伝わされている。
「なんかさ、お前と一緒にいると、昔の自分に戻りそうで嫌なんだよな。魔法が解けるみたいに」
とは当時の南郷だが、実はこれはまだ聞いていられる方の言い分で、
「お前みたいなのとつるんでるんだって思われると、俺までダサく見られそうじゃん」
と、もう目もあてられないようなことを、モンスター化した南郷は平気で言っていたのである。
この当時、実際、南郷が寝る暇もないほど働いていたのは事実である。
元々そう体が強くもなく、腰痛や頭痛持ちで、ちょっと無理をすると風邪を引く南郷がこうやって頑張っているのだからと世之介も腹立ちを抑えて応援していたところもある。
ただ、この頃、唯一世之介が南郷と口論したことがあった。
群馬のおばさん(南郷の母親)が、体を壊して入院したのだが、忙しいからという理由で見舞いにも行かなかったのである。
「だって、しょうがねえだろ。時間がないんだから」と南郷。
「群馬なんて車で二時間もあれば行けるでしょ!」と世之介。
「だから、その時間がないんだよ!」
実際、そうだった。それくらい南郷が働いているのは知っていたが、にしても、世之介からすれば、時間を使う順番が違うように思えて仕方なかったのである。
「お前は、こういう状況になったことがないから分からないんだよ。俺がいないと、現場はどうにもならないんだぞ!」
南郷の言う通りである。責任もある。期待もされている。そんな状況に立った経験が世之介にはないから想像がつかない。ただ、群馬のおばさんの寂しさはなんとなく想像できる。父親が早くに他界し、女手一つで育て上げた息子である。その息子が華々しく活躍しているのだから、その邪魔はしたくないという母心まで、なぜだが想像がついてしまう。
結果、世之介が息子に代わって、南郷の母の見舞いに行った。もちろん南郷から頼まれたわけではない。世之介としても、息子の後輩が見舞いに行っても気を遣わせるだけだろうというのは分かっているのだが、入院中の母親に一言、
「あなたの息子さんは本当に忙しいんです」
ということを、知らせてあげたくて仕方なかったのである。
幸い、南郷の母親は歓迎してくれた。
もちろん急激に仕事が減ったわけではない。ただ、本来なら南郷に来るような仕事が、別のフレッシュな写真家の方へ流れていくようになる。
一時期は書店やCDショップを南郷の写真が間違いなく席巻した。しかし、ということは、南郷の写真はどこへ行っても置いてあるものになり、気がつけば、世間は満腹になっていたのである。
当然、南郷本人もその変化に気づき、新しい作風を模索する。
ただ、南郷の新しい試みは、残念ながら悉く的を外していく。ここで南郷に人望でもあれば、まだ救われたのかもしれないが、モンスター化した南郷に人望などあるわけがない。いつしか、「南郷常夫みたいな写真だな」という言葉が、業界内では「時代遅れ」と同義語になっていた。
この頃のモンスターは、もう暴れるだけ暴れていた。
世の中というのは、南郷の母のようにモンスターを一撃で殺して、すぐに次のステージには進んでくれない。生かさず殺さずの状態で、徐々にその立場や権力や財力を奪っていくのである。
そんな生殺しの最中、南郷は頻繁に世之介を誘って飲んだ。飲んだというよりも、暴れに暴れた。暴れれば、元の自分に戻れるとでも思っているようだった。
「……な、なんで生まれてくるかって」
そのときである。思わず声を上ずらせる世之介を神様は見捨てなかったと見え、ふと世之介の脳裏にタシの姿が蘇る。
「……それはあれだよ、何でお前が生まれてきたかって言うとね、前世でお前がいろんな人を大切にしたんだよ。そのいろんな人たちがまた生まれ変わって、今のお前を大切にしてくれてるんだよ。……だから、何が言いたいかって言うと、なんで人間が生まれてくるか、それは、ご褒美だよ。前世でお前がいろんな人にやさしくしてやったど褒美に、今のお前は生まれてきたんです。……い、以上ですが……」
『 永遠と横道世之介(上・下)/吉田修一/毎日新聞出版 』
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