新元号が、令和になりました。
久々に日本が、ブータンや、タイなどと同じ、国王のいる王国だったことを思い出しました。
中国では、まだ国王がいた頃には元号が使われていましたが、社会主義国家となって使われなくなりました。
今では元号が使われているのは、日本だけになりました。
王国であっても民主主義の国がほとんどとなった今では、実際の政権運営は、日本でも天皇が行っているわけではありませんが、総理大臣を天皇が任命したりするしきたりが未だに残っているあたり、古いタイプの国の生き残りの一つなのかもしれません。
日本では、天皇とは一体何者なのか?とか由来について、議論されることはあまりありませんが、簡単に纏めてみました。
大昔に中国と朝鮮半島の間あたりから渡来して、日本を征服した騎馬民族の子孫では?などとの説もありますが、神話とごっちゃになっていて、最初の頃どうだったのかは、今でもはっきりしていません。
ともかく、日本を最初に統一した豪族が、天皇と自らを名乗り、国家としてスタートさせました。
のちに今の朝鮮半島にあった百済国から、天皇家へ妃が嫁いできたこともあったりしました。
このため、百済国が唐(中国)に滅ぼされそうになった際、朝鮮半島に日本が1000隻近い大船団で援軍を出兵しましたが、白村江の戦いで大敗して、百済国の遺民達と共に、半減した船団で日本に戻ってきました。
この頃には、既に船による大陸間の行き来も盛んで、渡来人が来て住み着いたりしていて、混血も進み、文明も急速に発展していたので、今よりももっと国際的な時代だったのかもしれません。
ちなみに、岡山にも、鬼ノ城と呼ばれる古代山城跡がありますが、唐の侵攻を恐れて築城されたものと考えられています。
やがて天皇による政権運営は衰退し、摂政、武士などの政権に移行して行きましたが、滅ぼされることなく、政権が変わってもその上の立場で、将軍を任命する立場が続くこととなりました。
戦国時代には、天皇は既に神格化されていたので、当時の暴君であった織田信長や、豊臣秀吉などでさえ、天皇には、手出しをすることはありませんでした。
ある意味、神社仏閣のような、人間を超越した神様のような存在でしたが、不遇な時代が続きます。
この後、江戸末期の第二次長州征伐で、高杉晋作の率いた3,500人の長州藩に、征伐する側だったはずの10万人以上の徳川幕府軍が大敗したことから、江戸幕府の権威は失墜し、崩壊は決定的となりました。
戊辰戦争で、倒幕派側の象徴として天皇が担ぎ上げられた事により、坂本龍馬が発案して、土佐藩から徳川慶喜に申し入れた、徳川家から天皇への大政奉還により、再び天皇は政権の表舞台へと戻りました。
これ以降、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争を通じて、戦争のたびに、挙国一致で国民を戦争に向かわせるため、天皇は、軍部にうまく利用される立場になってしまいました。
その後、太平洋戦争末期になり敗戦濃厚になってくると、天皇を利用していたはずの軍部まで、天皇を神頼みするようになってきました。
やがて日本はアメリカ、イギリス、中国、ロシアなどの連合国側に無条件降伏し、立場上日本軍のトップであった天皇は、戦犯として処刑の危機に晒されることになりました。
ただ、実際に戦争を主導したのは軍部の人間であったことと、全滅するまで激しい戦闘を続けたり、特攻攻撃をしていた日本軍が、天皇の指示で完全に戦闘を止めたことから、戦後のアメリカ軍による日本の統治をスムーズに進める上で、必要な存在との判断となり、神様扱いから、人間天皇として日本の象徴となり、親しみやすくなった現在に至っています。
随分と間をすっとばしましたが、こうして由来を辿ると、日本のみならず、世界で一番家系がはっきりしている人物です。
自分などは、曾祖父以前とかだと名前も分からない状況なので、歴史上、類稀な存在です。
以前にタイに旅行に行った際、バンコクの立派な王宮のすぐ近くに、トタン屋根のスラム街が広がっていて、同じ人間なのに、どうしてこの違いについて、タイの人は誰も文句を言わないのだろうかと不思議に感じました。
外国からみたら、今の日本はどう思われているんでしょうか。