温泉放浪記

温泉と旅行、酒場とグルメのブログです。料理やラーメン、農業、猫、薔薇の記事もよく書いています。

旧日本陸軍の軍服と日本刀

2020年02月23日 13時47分00秒 | 歴史
今日は、午前中に母の家の片付けと掃除をしました。
座敷の棚を片付けていたら、祖父の弟の軍服と、日本刀が出てきました。

80年位前のものですが、まだ綺麗な状態です。日本刀を抜いて眺めると、模造刀と違って、妖しい輝きと、真剣の迫力があってこちらもいい感じです。

中国大陸で20代で戦死された先祖の大切な形見なので、しばらく干してから、しまう事にしました。
昭和17年4月付の靖国神社の写真集もありました。
当時は、戦死すると靖国神社に神様として祀られていた時代です。
国からの命令で、否応なく命を捨てなければなりませんでした。
親にとっては軍神になるよりも、自分よりも長生きして、ごく普通の人生を送って欲しかったに違いありません。
祖父の弟も、戦死する少し前に一度自宅に帰ってしばらく過ごし、「じゃあ、行ってきます。」と両親に言って中国に行って、それっきりだったそうです。



日本軍統帥の昭和天皇や、当時の軍人、家族などが大勢参拝してる様子、東京の市街が写っていました。
空襲前なので、とても立派な建物が写っています。
真珠湾攻撃の成功や、イギリス東洋艦隊を全滅させた後なので、戦勝祝いなど、まだまだ戦争に余裕があった時代の様子を感じることができました。


北朝鮮とアメリカが戦争した場合の日本への影響

2020年01月02日 09時34分00秒 | 歴史
最近、再び北朝鮮とアメリカの関係が不穏な状況になっています。

元々、今の朝鮮半島は、36年間日本の植民地として統治されていましたが、日本の敗戦により、北朝鮮と韓国の二つに分断されました。
分断後、朝鮮半島の統一のため、北朝鮮が韓国に侵攻したことで、今から70年前に朝鮮戦争が起こりました。
ソ連から供給された、強力な戦車と戦闘機で武装した80万人の北朝鮮軍と、韓国軍、アメリカ軍主体の国連軍が衝突しましたが、国連軍は大敗して、朝鮮半島南端の釜山辺りまで追い詰められてしまいました。

当時、日本を統治していたマッカーサーの指揮下の元、日本から北朝鮮へB-29爆撃機
で空爆を開始すると共に、ソウル近郊に60万人のアメリカ軍を上陸させ、逆に北朝鮮を滅ぼすため侵攻を開始しました。

すると、今度は北朝鮮軍に、中国軍100万人が参戦してきて、アメリカ軍を攻撃し、アメリカ軍は陸軍史上最大の大敗をしてしまいます。

その後、38度線を巡って戦局は一進一退の膠着状態になりました。
追い詰められたマッカーサーは、とうとう北朝鮮に原子爆弾を落として壊滅させる計画を立てたりしましたが、第三次世界大戦をひき起こす可能性を懸念したアメリカ大統領の命により、司令官をクビになってしまいます。
この後、38度線を境に休戦協定が結ばれ、現在に至っています。

つまり、今でも戦闘状態を一時休戦している状況が続いていることになります。

北朝鮮が今でもアメリカに強気な態度なのは、過去にアメリカ軍に勝利した歴史があるためです。

話が長くなってしまいましたが、再び北朝鮮とアメリカが戦争を始めることになり、北朝鮮がミサイルで核攻撃をするとしたら、遠く離れたアメリカ本土ではなく、アメリカ軍の最前線基地であるソウルや、沖縄、日本本土の佐世保、岩国、横田、三沢基地などが攻撃目標になってしまいます。

トランプ大統領が、平和交渉と称して、北朝鮮にミサイルと核の放棄をさせようとしていますが、北朝鮮が自ら戦闘能力を放棄するような交渉に応ずる訳もなく、アメリカにとっては天敵ともいえる、社会主義国家に対する不可侵条約でも結ばない限り、解決の目処は立ちそうにありません。

北朝鮮のミサイルには、正確な目標への誘導装置は無さそうなので、いったん発射されたら、日本のどこに落ちるか分かりません。

ニュースでは、北朝鮮とアメリカ間の話ばかりですが、戦争になったら一番危険なのは日本と言ってもいい状況です。
このため、日本もアメリカ軍の北朝鮮戦に備えて、自衛隊も出動すべく、伊勢や出雲などの艦艇を空母に改装し、爆撃機の搭載を進めていたり、憲法改正を急いでいると言った所です。

終戦記念日

2019年08月15日 16時44分00秒 | 歴史
お盆なので、先日お墓参りに行ってきました。
先祖のお墓の中で一際大きく、陸軍の星形マークがついているのが、祖父の弟のお墓です。
太平洋戦争前の昭和14年頃に中国の北東部の野戦病院で23歳で亡くなられています。
ちょうど、ソ連軍とのノモンハンの戦いで、日本軍が全滅に近い損害を受けた頃です。
直前に一度、岡山の自宅に戻って、家族に「じゃあ行ってきます。」と挨拶して、また中国に戻っていったそうで、それきり帰らぬ人になってしまいました。
今でも、形見の軍服と軍刀が家に残っています。

その後、同盟国であったドイツがソ連に侵攻し、ヨーロッパ戦線は拡大して行きましたが、日本の陸軍はソ連との戦いには、猛反対です。

また、日中戦争に反対するアメリカから、石油禁輸制裁を受けていた日本は、アメリカの要望通り、中国との戦争をやめて、占領した領地を全て返還しなければ、石油不足で軍艦や、戦闘機が動かされなくなってしまいます。
しかし、日清、日露戦争でせっかく手に入れた中国の領地を手放すことなど、できない相談です。

追い詰められた日本は、まだ石油の備蓄がある内にアメリカと戦争をする方向に傾いて行き、いずれ同盟国のドイツがソ連やイギリスを征服したら、アメリカも日本との講和に応じるだろうとの判断で、開戦を決意してしまいます。

ソ連もドイツの相手で精一杯なので、日本と不可侵条約を結ぶことに合意しました。こうして日本は石油確保のため、インドネシアの油田を手に入れることを目標として、南方のアメリカ、イギリス軍基地を攻撃して太平洋戦争が始まりました。

以降、ヨーロッパやアフリカ戦線を含め、全世界の60ヵ国以上を巻き込んだ、人類の歴史上最大の戦争となる、第二次世界大戦に突入してしまいます。

しかし同盟国であてにしていた、ドイツやイタリアは日本より先に敗戦し、最後にはアメリカ、イギリス、中国、ソ連、オーストラリア、フランスなど世界中のほとんどの国対、日本単独の戦いになり、原爆投下の後、無条件降伏しました。

日本の敗戦で、第二次世界大戦は終わりましたが、全世界で5,500万人の方が戦争で亡くなってしまいました。
その内、日本が起こした太平洋戦争で、日本、アメリカ、中国、イギリス、オーストラリア、ソ連、韓国、インドネシア、フィリピン、シンガポール、ベトナム、ビルマ、インド、ニュージーランド、南洋の島々などの方が、約2000万人亡くなられています。

終戦から既に70年経ちました。
日本人にとっては、過去の歴史になってしまいましたが、被害を受けた国々では、今でも忘れらない過去になっています。

 このまま、平和な時代が続けばいいのですが。







新元号 令和と天皇の歴史

2019年04月01日 22時34分43秒 | 歴史
新元号が、令和になりました。
 
久々に日本が、ブータンや、タイなどと同じ、国王のいる王国だったことを思い出しました。
中国では、まだ国王がいた頃には元号が使われていましたが、社会主義国家となって使われなくなりました。
今では元号が使われているのは、日本だけになりました。
 
王国であっても民主主義の国がほとんどとなった今では、実際の政権運営は、日本でも天皇が行っているわけではありませんが、総理大臣を天皇が任命したりするしきたりが未だに残っているあたり、古いタイプの国の生き残りの一つなのかもしれません。
日本では、天皇とは一体何者なのか?とか由来について、議論されることはあまりありませんが、簡単に纏めてみました。
 
大昔に中国と朝鮮半島の間あたりから渡来して、日本を征服した騎馬民族の子孫では?などとの説もありますが、神話とごっちゃになっていて、最初の頃どうだったのかは、今でもはっきりしていません。
ともかく、日本を最初に統一した豪族が、天皇と自らを名乗り、国家としてスタートさせました。
のちに今の朝鮮半島にあった百済国から、天皇家へ妃が嫁いできたこともあったりしました。
このため、百済国が唐(中国)に滅ぼされそうになった際、朝鮮半島に日本が1000隻近い大船団で援軍を出兵しましたが、白村江の戦いで大敗して、百済国の遺民達と共に、半減した船団で日本に戻ってきました。
この頃には、既に船による大陸間の行き来も盛んで、渡来人が来て住み着いたりしていて、混血も進み、文明も急速に発展していたので、今よりももっと国際的な時代だったのかもしれません。
ちなみに、岡山にも、鬼ノ城と呼ばれる古代山城跡がありますが、唐の侵攻を恐れて築城されたものと考えられています。
 
やがて天皇による政権運営は衰退し、摂政、武士などの政権に移行して行きましたが、滅ぼされることなく、政権が変わってもその上の立場で、将軍を任命する立場が続くこととなりました。
戦国時代には、天皇は既に神格化されていたので、当時の暴君であった織田信長や、豊臣秀吉などでさえ、天皇には、手出しをすることはありませんでした。
ある意味、神社仏閣のような、人間を超越した神様のような存在でしたが、不遇な時代が続きます。
この後、江戸末期の第二次長州征伐で、高杉晋作の率いた3,500人の長州藩に、征伐する側だったはずの10万人以上の徳川幕府軍が大敗したことから、江戸幕府の権威は失墜し、崩壊は決定的となりました。
戊辰戦争で、倒幕派側の象徴として天皇が担ぎ上げられた事により、坂本龍馬が発案して、土佐藩から徳川慶喜に申し入れた、徳川家から天皇への大政奉還により、再び天皇は政権の表舞台へと戻りました。
 
これ以降、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争を通じて、戦争のたびに、挙国一致で国民を戦争に向かわせるため、天皇は、軍部にうまく利用される立場になってしまいました。
その後、太平洋戦争末期になり敗戦濃厚になってくると、天皇を利用していたはずの軍部まで、天皇を神頼みするようになってきました。
やがて日本はアメリカ、イギリス、中国、ロシアなどの連合国側に無条件降伏し、立場上日本軍のトップであった天皇は、戦犯として処刑の危機に晒されることになりました。
ただ、実際に戦争を主導したのは軍部の人間であったことと、全滅するまで激しい戦闘を続けたり、特攻攻撃をしていた日本軍が、天皇の指示で完全に戦闘を止めたことから、戦後のアメリカ軍による日本の統治をスムーズに進める上で、必要な存在との判断となり、神様扱いから、人間天皇として日本の象徴となり、親しみやすくなった現在に至っています。
 
随分と間をすっとばしましたが、こうして由来を辿ると、日本のみならず、世界で一番家系がはっきりしている人物です。
自分などは、曾祖父以前とかだと名前も分からない状況なので、歴史上、類稀な存在です。
 
 
以前にタイに旅行に行った際、バンコクの立派な王宮のすぐ近くに、トタン屋根のスラム街が広がっていて、同じ人間なのに、どうしてこの違いについて、タイの人は誰も文句を言わないのだろうかと不思議に感じました。
外国からみたら、今の日本はどう思われているんでしょうか。