徒然幸せ日記

作者が日常の生活で見たこと、感じたこと、感動したこと!を書いています。
特に、「幸せ」とは何かについて考えています。

アランの幸福論~幸せは歩いてこない~

2012-01-07 21:52:36 | 日記・エッセイ・コラム

 新年、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 さて、今年も早くも1週間が経とうとしているが、特に変わったこともない。

 年末ジャンボはかすりもしなかったし、何かいいことないかな!?って思っていたら、友達からもらった年賀状に「高のぞみせずに、今ある幸せを大切に」って書いてくれてあったけど、なんとなく意味深だよね。

 というわけで、新年早々のテーマとして昨年NHKのEテレでやっていた100分で名著で感銘を受けたアランというフランスの哲学者(1868-1951)のことでスタートする。

 この番組は25分ずつ4回の100分で有名な書物を紹介するという企画で、昨年来いろいろと学ぶことが多かったが、アランという人の幸福論の中で自分流に感じた要点だけ記載しておきたいと思う。

1 「不幸になることはたやすい。じっとすわっていればよい。(欲望や悲しみという情念に流される)幸福になることは、自分だけでなく、周りも幸せにする。徳である。」

  では、どのようにすれば、幸福になれるか?というと、

 不機嫌(不幸)の原因の大半は気分的なものなので、自分の不機嫌には運動することやほほえむことで気分を変えること他人の不機嫌には、椅子を差し出してやる。ほほえんであげる。」→ネガティブからポジティブへ

 「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。」

2 でも、気分転換だけで幸福になれる?

 幸福になりたいと思ったら、そのための努力をしなくてはならない

 喜びは行動とともにやってくる。→365歩のマーチのように。それ、12.12.

 自分が主役であれ。服従することはつまらない人生。

 山頂まで登山電車で来た人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない。

 ほしいものは、山の頂上にある。よじ登らなくてはならない

3 山登りするほど、幸せになるのは大変のことなの?

 日常の生活の中では、礼儀が大事。自然な物腰で、ダンスのように相手に合わせていくしなやかな心。礼儀が大きくなると、幸福になる

 また、相手に合わせるといっても、哀れみや同情はかえって相手を不幸にする。相手のことを思うのなら、自分の持っている快活な友情を与えて、相手を元気にしてあげることこそが大事。相手への信頼こそが妙薬である

 人とのつながりは得難い幸福にさせてくれるもの。そのためには、

①自分の不幸を他人に話さない。

②他人に言われた悪口を気にしない。

③他人を束縛しない。

 自分を大切にして、人を幸せにする

 自分のことをくよくよ考えるな。憂鬱になるだけ。

 遠くを見よ!!その人のあるがままを望むことこそが真の愛。

4 では、がんにおかされて、死に直面しているときでも幸福と感じることはできるか?

 死期が迫っていても、自分の意志で何か得意なことをして、それで人が喜んでくれればそれは幸せである。 例えば、料理。

◎楽観主義と人は悪く言うが、悲観主義は何も生まないが、真の楽観主義は強い意志がなければ、なれない。それは、雨や風にあっても「結構なおしめりですね」というぐらいの強い意志である。

 真似でも良いから、楽観主義になることを誓うことで楽観主義になれる。

 「必ず良くなるのだ」と誓い、絶望の淵にいても「生きているだけで幸せ」と思えば、死なない。誰かに何かをしてあげようと考えれば、力が沸いてくるはず

 今日からでも、「本当の幸福を手に入れよう」と決意しよう。棚ボタの幸せを待つのではなく。  

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