別に自慢話じゃないが、私は今から12年ほど前にNHKのど自慢の予選に出たことがある。予選では250組がはがきで選ばれて、そのうち20組がめでたく日曜日の正午から全国放送されるのだ。
私はその時何を歌ったかって?
そう、それは私の18番とも言うべき、吉幾三作詞・作曲の「俺ら東京さ行くだ」だ。
この歌は、実はもう30年ほど前に1回歌ってみて、結構ウケがよく、リクエストをされたり、自分でも選曲したりでかれこれ200回~300回くらい歌ったものだ。それでも、のど自慢の予選の舞台へあがるとなんと、頭の中は真っ白になり、歌詞が思い出せなかった。
たまたま歌詞カードを携帯していたから歌えたものの、そうでなければ一言も歌えずに終わってしまったところだった。
先日、別の場所でたまたま私のカラオケ18番を披露することになり、歌ってみたが、またも、歌詞の1番から3番がごっちゃになるという不覚を演じたため、ここにメモさせていただこうと思う。
「俺ら東京さ行くだ」
テレビもねえ、ラジオもねえ、車もそれほど走ってねえ
ピアノもねえ、バーもねえ、お巡り毎日ぐーるぐる
朝起きて、牛連れて、2時間ちょっとの散歩道
電話もねえ、ガスもねえ、バスは1日1度来る
俺らこんな村いやだ、俺らこんな村いやだ、東京へ出るだ
東京へ出会たなら、銭コアためて、東京でベコ飼うだ
ギターもねえ、ステレオねえ、生まれてこの方見たことねえ
喫茶もねえ、集いもねえ、まったく若者ア俺一人
婆さんと爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋ねえ、映画もねえ、たまに来るのは紙芝居
俺らこんな村いやだ、俺らこんな村いやだ、東京へ出るだ
東京へ出会たなら、銭コアためて、東京でベコ飼うだ
ディスコもねえ、のぞきもねえ、レーザーディスクは何者だ
カラオケはあるけれど、かける器械を見たことねえ
新聞ねえ、雑誌もねえ、たまに来るのは回覧板
信号ねえ、ある訳ねえ、俺らの村には電気がねえ
俺らこんな村いやだ、俺らこんな村いやだ、東京へ出るだ
東京へ出会たなら、銭コアためて、東京でベコ飼うだ
というものだ。
この歌詞自体、もう時代にあわなくなっているけれど、なぜか、村を出るといいながら、村を愛していることが伝わってくる(特に東京でベコ飼うところ)ところが好きだ。
これから始めるぞという元気が出るため、、いつもカラオケで私が歌う際にはトップに歌わせてもらっている。
ところで、のど自慢の結果はどうだったって?
→歌詞の1番をすべて歌わせてもらったところで「ありがとうございました」とマイクが入り、他の人は1番の歌詞の途中だったので、ひょっとしたら予選通過か!?と半分期待、半分不安になったが、見事予選おち。横断幕まで持ってかけつけてくれた応援団の方には悪かったなあ。
でも、その時の写真とBSで流れた放送の録画はいい思い出です。
ここで、普通は書くのをやめるのだが、今回は私のカラオケ19番(私のカラオケで最後に(というかほとんどこの2曲で終わりだが)歌う歌)の歌詞(中山大三郎氏作詞・作曲)千昌夫氏の
「味噌汁の歌」を書いておく(セリフもいい)
しばれるねえ、冬は寒いから味噌汁がうまいんだよねえ
うまい味噌汁、あったかい味噌汁、これがおふくろの味あんだねえ
あの人 この人 大臣だって みんないるのさ おふくろが
いつか 大人に なった時 なぜか えらっそうな顔するが
おつい味噌汁飲むたびに 思い出すのさ おふくろを
忘れちゃならねえ 男意気
へえーそうか おまえさんも 東北の生まれか 気持ちはわかるが 焦らない方がいいな
やめろ あんな甘ったるいものの好きな女なんか
なにが ポタージュだい 味噌汁の好きな女じゃなくっちゃ
寝るのはふとん 下着はふんどし
ごはんのことをライスじゃなんて 言うんじゃないよ
田園調布? 家を建てるんなら岩手県 それも陸前高田がいいね
金髪? 金髪だけはいいんじゃねいべか
それにしても 近頃の人は 何か忘れてるね
これでも 日本人なんだべかね
日本人なら 忘れちゃ困る 生まれ故郷と味噌汁を
なんだかんだと 世の中は 腹が立つやら泣けるやら
どこへ行ったか親孝行 まるで人情 紙風船
忘れちゃならねえ 男意気
ふるさとを出てから16年 いつもおふくろさんのふところを 夢見ておりました
思い出すたびにこの胸がキューと痛くなるんです
思わず涙が 出てくるんだなあ
それにしても 今夜は しばれるねえ
このぶんだと 雪になるんでねえべか
おふくろさんの 味噌汁が食いたいなあ
かあちゃーん!!
どうですか?いい歌詞でしょう。日本人の原点を見る思いです。
そのほかのレパートリーとして、
植木等「スーダラ伝説」
ミス花子「河内のおっさんの歌」
嘉門達夫「替え歌メドレー2」
なんかマイナーな曲ばっかりやな。 ちゃあん、ちゃあん。