昨日、夜のNHKの番組を見ていたら、95歳の瀬戸内寂聴さんが出演されて、桑子アナウンサーのインタビューを受けていた。
ここ数年で2回の大病を患い入院され、その間執筆できなったとのこと。
それでも、今は、すこぶる元気そうであった。
私が心動かされたのは、寂聴さんが本当に心から言っている言葉。
一つは「大病を患って初めて、生きることのつらさや病気の痛さがわかったということ」
もう一つは、「それでも、今は、その痛みを忘れている。人間は父母や配偶者の死のようなつらいことでも4年もすれば、ある程度忘れて元気でいられる」ということ。
このことは、昨日カズオ・イシグロ氏のことで書いた「記憶」することが重要と矛盾するようだが、そう悲しんでばかりいられないという現実的な人間としてのメカニズムなのだろうと思う。
だからといって、完全に忘れていいいということでも、忘れられるということでもなく、ずっと記憶していくことになるのだろう。時々、鮮明に思い出すのだろう。
寂聴さんは「おいしい料理(ステーキ)とおいしいお酒が一番」とか言って微笑んでおられた。
人間、かくありたいものである。
ここ数年で2回の大病を患い入院され、その間執筆できなったとのこと。
それでも、今は、すこぶる元気そうであった。
私が心動かされたのは、寂聴さんが本当に心から言っている言葉。
一つは「大病を患って初めて、生きることのつらさや病気の痛さがわかったということ」
もう一つは、「それでも、今は、その痛みを忘れている。人間は父母や配偶者の死のようなつらいことでも4年もすれば、ある程度忘れて元気でいられる」ということ。
このことは、昨日カズオ・イシグロ氏のことで書いた「記憶」することが重要と矛盾するようだが、そう悲しんでばかりいられないという現実的な人間としてのメカニズムなのだろうと思う。
だからといって、完全に忘れていいいということでも、忘れられるということでもなく、ずっと記憶していくことになるのだろう。時々、鮮明に思い出すのだろう。
寂聴さんは「おいしい料理(ステーキ)とおいしいお酒が一番」とか言って微笑んでおられた。
人間、かくありたいものである。