前にある雑誌(週刊現代)にタイトルの本のことが紹介されていて、この本を図書館で借りて、一部読んでみました。
一部というのは私が関心があった吉田兼好、松尾芭蕉、筆者の思いの最後の部分です。
この本は実は32年も前に最初に発刊され、話題になった本で「清貧」という言葉はその時もよく使われたようですが、いつの間にか使われなくなっていたように思います。
でも、シンプルライフというような物をあまり持たずに不要なものはどんどん捨てていく考えとマッチして、ある雑誌では再評価されていました。
そして、この本の中身ですが、特に重要と思う部分は2つありました。
1つは現在というもののとらえ方です。
よく言われるように、「今でしょ」ですが、それは、もっと緻密な瞬間的な今ココの世界のようです。
それは、純粋に今の心(魂)が喜ぶことをしなさいという教えだということです。
詳しいことはこの本や吉田兼好の『徒然草』112段とかを見てほしいのですが、毎日時間に追われ、他人との比較の上での幸せ比べをしているのではなく、もっと、心(魂)豊かに過ごさないと、死ぬとき後悔しますよ!みたいな話です。
もう一つはこの本のタイトルにある「清貧」という考えです。
貪欲な毎日から距離を置いて、自分の生活を振り返り、決して裕福でなくても、自分の心を清く保って生きてゆくことの重要性についてです。言わんとすることはわかるのですが、「貧しい」という文字が気になりました。
ですから、私としては、清く+質素の素=「清素」の方が今にマッチしていると思いました。(もしかしたらこの言葉私の「造語」かも?)
「清楚」という言葉もあるくらいですから。
これから生きて行く上での処方箋のように感じています。(私は、まだまだ、物欲は消えませんが。)
This book is worth reading.
P.S.
今ココについての表現部分(p216)
思想を書き留めることは時の中で起こるが、思想を心にいだくことは、時の外で起こる創造的できごとである。
愛することの喜びの、真理を把握することの経験は、時の中で起こるのではなく、今ここで起こる。この今ここは永遠である。
すなわち時を超越している。ただし、永遠とは一般に誤解されているような無限に引き伸ばされた時間ではない。
こんなふうに今ココ(hic et nun)の時を充実して生きる者の生をこそ全機現というのだろうと思われるのだ。
そして、そういう充実をもって今ココを生きている者にとって、所有なぞが何であろう。
所有をいかに増やしたところでそれをいくら足しても生の充実は得られぬ。
時計の時間を離れ、永遠の今ココをとくと味わえ。もしそのとき虚空の中に豁然と開けるものがあったら、それがきみの生だ。
「尽大地・尽虚空、ともに舟の時節、舟の機関」となったのだ、と。