今日、午後2時開演の「わたぼうし音楽会」に妻と2人で奈良県文化会館へ行った。このコンサートは、前から一度聞いてみたいと思っていたが、時間がなくていけなかったものだ。
会場に15分前頃着くと、障害者の人やボランティアスタッフの人たちでかなりの熱気があった。私は妻と後ろから3列目くらいの通路側に座った。
開演から2人(さかいさんとなかがわさん)の司会の人がテンポよく進めていった。演奏されるのは予選を通過した8曲。その作詞者はすべて障害をもった人だ。それを本人やプロに近い人が曲をつけて、かなりのレベルの人が演奏する。
その中で、ある作詞者は確かこう言っていた。「障害のある人もない人もこの世界に生まれてきたらみんな同じ苦労をしている。」また、別の人は、「昔目がみえないことで他人に親切にしてもらって、お礼を言ったら、そんな必要はない。あなたにできることで、社会に役に立てばいいんだと言われた。」と言っていた。
確かに、障害がある人(実は自分も障害者なんだが)に、今までなぜか「かわいそう」みたいな上から目線で見てきたが、実は障害を持っていることで、かえって、音楽とかアートとか敏感な感覚で秀でていることもある。また、そうしたことができなくても、精一杯生きていることでそこから教えられることがある。あの大きな笑い。純粋な気持ち。みんなどこかへ忘れてきたのではないか?
社会は健常者だけの世界ではない。障害者と健常者がいつ障害者になってもおかしくない世界で生きている。自分がそうした立場になったら(実はもうなっているが)、その中で精一杯生きていく。そうすることで、わかりあえるのではないかと感じた。(まだまだ、途上だが)
「わたぼうし大賞」を受賞した「半分ごっこ」という久保博揮さんが作詞・作曲したその詩には、こう書かれている。「そのままでいいんだよって、優しく叱ってくれた」「誰もが完璧には生きられない。半分ずつ分け合って、支え合う。あなたがくれた、あたたかい気持ち。わたしもあなたに優しくなれたら」「それがきっと、あなたへのお返しになるでしょう」
これを、見事にピアノと歌で演奏してくれた。他の7曲もすべて良かった。
フィナーレは「わたぼうし」の歌。「フンワリフワフワ フンワリフワフワ どこまでも 根をおろせ」
ああ、俺もこうしてちゃいられねえ。