私は、生まれつき心臓の弁が少し悪くて、小さいときから心臓に雑音がありました。でも、ふだんは皆と同じように生活をして、特に支障ありませんでした。支障があったのは、マラソンや水泳の飛び込みくらいでした。
そうして、生活して50年以上がたった去年11月、7月に受けた検査結果を聞きに、いつものようにKセンターへ行った所、今回に限って、去年と比較して大動脈瘤が大きくなっており、破裂の危険性があると言うではありませんか。体調としては、特につらいわけではありませんが、そう言われるといつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えたようなもので、少し不安になりました。
そこで、平成21年1月にカテーテル等の検査入院をした結果、やはり、大動脈瘤になっている血管と大動脈弁の置換手術を、早急にした方が良いとの結論になりました。いつかは、こうした日が来るのではと思ってはいましたが、まさか、こんなに早く来るとは思いませんでした。仕事のことを考えると、長期の入院はかなり職場に迷惑をかけることになるので、つらかったですが、上司の理解もあり、医師の勧めに従うことにしました。
手術は、ベッド空きの状態でいつになるかはっきりしませんでしたが、3月16日に18日から入院できないかとの電話がありました。急なことにびっくりしましたが、この機会を逃すと今度はいつになるかもわかりませんでしたので、家族と職場の上司に報告し、了解を得ました。
入院したとき、23日が手術日と知らされました。また、入院したとき、手術の方法の確認がありましたが、大動脈瘤以外に肺動脈瘤もかなり大きいので、今回一緒に手術することになりました。また、大動脈弁は二尖弁(普通の人の弁は3つに分かれているが、私の弁は2つに分かれている)のため閉鎖不全の状態なので、これもこの際人工弁(牛や豚の弁にするとワーファリンという薬を飲む必要はないが、15年ほどで取り替える必要があるため、カーボンやチタンから出来た弁にしてもらうことにする)に置換してもらうことになりました。なお、二尖弁の人は全体で2~3%くらいいるらしいのですが、血管の壁が普通の人よりもろいらしいです。この時聞いた手術での命の危険性はかなり大きなものでした。また、手術もかなり困難なため、8時間~10時間程度かかるだろうとのことでした。
同室の人(4人部屋)は、手術を終えた人ばかりで、これから受けようとしているのは自分だけです。相談すると、かえって怖い気がして相談しませんでした。なお、手術までに、何か仕事でまとめられるものはないかと考え、1つでかいファイルを作成し、手術の2日前に職場へ送りました。(役にたったとは思えませんが)
手術の前日は、おかゆに梅干しのつぶしたものとすまし汁が3食出ます。また、午後からは毛剃りもあります。毛剃り(首から下のほぼ全ての毛をバリカンでそれとへその掃除もします)が終わった頃、職場からにぎやかな仲間が2人来てくれたことは幸いでした。暗くなる気分をハイにしてくれました。眠る前には、安定剤を1錠飲み、それなりに眠ることが出来ました。
当日は、6時起床で、絶食。前日飲んだ下剤により排出。8時半に優しい副師長に連れられ、看護師さんらに送られ、手術室へ向かいました。妻と家族も手術室の入り口まで見送ってくれました。私は、はっきり覚えていないのですが、妻は後で、この時私は笑って手をふっていたとのことです。酒も飲まずにそんな元気がよく出たものだと思います。
車椅子で運ばれ、手術室は7番で、手術台へ自分で昇り、少し会話したことまでは覚えているのですが、麻酔をかけられたため、その後のことは全く記憶にありません。
気がついたのは、たぶん真夜中の0時頃だったと思うのですが、体が特に痛いこともなく、今こうしているのは、もう手術が終わったのだろうか、それとも、まだ、これからすることが残っているのだろうかと少し不安になりましたが、すぐに担当の看護師さんが来てくれて、色々と処置してくれたので、やっと、手術が無事終わったのだと思いました。しばらくして、担当の先生も来てくれ、予定どおり手術は終了したことを聞き、嬉しさでいっぱいになりました。
手術後の自分は、思っていたより元気で、看護師さんがテレビでも見る?と言って持ってきてくれたのにはびっくりしました。テレビの調子が悪く、結局は見なかったのですが。そうこうして、24日の午前10時半頃私は、ICUから個室に移ることになりました。
個室へ移るとき、家族が来てくれていて、その時見た妻の顔が忘れられません。後光を背にした女神かと思いました。
個室に移って、家族と1時間ほど面会。ご飯を食べても良いとのことでしたが、まだ、熱もあり食欲はありません。ゼリーを少し口にし、ポカリを少し飲みました。でも、生きているということは実感しました。しばらくして、家族は安心して帰りましたが、それからの2日間が自分では一番つらい日々でした。というのも、胸から左足にはドレンの管、尿の管、右手や首には点滴の管、口と鼻は酸素マスクで、動こうにも動けません。寝返りができないとこんなにつらいということがわかりました。24日と25日はほとんど眠れない長い夜でした。この時の対処法としては、背中にバスタオルとかをはさむとか、左右の足を交互に曲げて、背中は無理でも肩だけでも交互に持ち上げると有効です。
26日の朝、ドレンと尿の管をはずしてくれたときは、本当に嬉しかったです。でも、この3日間横になっていたため、起きあがろうにも起きあがれない状態で、体重を量るのに看護師さんにつかまってやっとでした。この頃まで、夕方になると少し熱がありました。
その後、しばらく個室にいましたが、後の人の事もあり、4人部屋に移りました。移ったその夜、不整脈が出て、また、点滴のお世話になりました。
その後は、退院した4月8日までこれといって、書くことはありません。同室の人と親しくなれたこととワーファリンその他の薬を毎日飲む必要が出たことくらいです。
一番書いておきたいのは、担当の医師や看護師さんが本当に皆すばらしく、処置も上手で対応も早く、親切になんでもしてくれたことです。実は、あの動けない3日間に水虫の足がかゆくて、持ってきていた薬を看護師さんに塗ってもらったこともありました。
また、家族や親戚、職場の皆さんの支えがないと、一人ではとても不安です。妻とは、毎日メールや電話で会話しました。手術前後に、家族が来てくれたことは一番大きな心の支えになりました。
気をつけるべき点は、さきほどのような薬や首や肩がこる私のようなものはサロンパスのようなものも必要ですし、特にワーファリンの関係で歯の治療だけは済ませておく必要があるということです。私もかなり済ませた方ですが、左の下の治療をしておくべきだったと後悔しています。
退院したからといって、すぐに元気になるわけではありません。胸に30cmほどの縦の傷があり、心臓では身体障害者に認定されるほどの治療を受けているのです。(私の場合は、執刀医の先生がうまく手術してくれたので、脇や足の付け根部分の傷はありませんでした。)テレビを見るくらいはできますが、本を読んでまとめるほどの集中力がなかなかわいてきません。
今後、できるだけ早く職場復帰したいと考えていますが、これからどうなるか、今までの気力がよみがえるのか、職場の動きについていけるのか、不安でいっぱいですが、まだ、若いのですから、頑張るしかないと思っています。
これから、こうした手術を受ける人の参考になればと思い、筆をとりました。