本日、図書館でタイトルの本を閲覧した。というのも、借し出してもらえないからである。
この本については、マイブログ2018.4.19で『その七十七』をご紹介し、反響が大きいものですが、その後続編が発行されているにも関わらず、読めてなくて本日読むに至ったものです。(もう既に『その七十九』も出ています)
さて、本日短時間ではありますが、この本のいくつかの話を読ませていただき、特に一番最初の話「表彰ということ」(小檜山 博氏著)に感動し、涙しました。
実際に読んでもらわないとその良さはわからないですが、簡単にストーリーを書かせていただくと、
主人公の女性が、毎月福祉施設に5千円ずつ35年間も送金しているということで、著者が取材してわかったことは、主人公の女性が裕福でしているのではなく、2歳の時に母を亡くしその施設に預けられたのだが、とても親切にしてもらい、そのことが身に染みたからということ。
その5千円を送金するまでの苦労が、書かれていて、また、その女性を助けてくれた人のことが書かれていました。
ある時、ネクタイを街頭で売っていたところ、売れない状況とお腹をすかせた子どもがそばにいるという状況の中で、中年の女性に「このタイ焼きを子どもに食べさせてあげて」ともらったという。
そして、感動的なセリフがこれです。
「私は、昔ある人からタイ焼きをいただいたとき決心したんです。
1つの手は自分と家族のために、そして、もう1つの手は人様のために使おうと、
私のしたことなんてたいしたことはない。表彰するなら…」
そして、別の話を読んでいると今治市の真言宗大谷派善照寺の住職 真城義麿氏が書かれた
「恩」という話に出会いました。
恩という漢字は、「因」+「心」でできていますが、
「因」は宇宙が出来た時からの積み重ねであり、近くは親である。
そして、「心」はその「因」を受け止めるものだということ。
普段私たちは「私は」「私が」と自分本位に考えて、他人と比較して優越感を覚えたり、逆に劣等感に苛まれたりしていますが、
その「私」という存在を支えてくれた「親」や「友達」や「地域の人」や「太陽」や「風」や「雨」や「大地」などに感謝するという「私のために」「私のことを」を考えれば、恩返しができるということのようだ。せめてお盆くらいは「恩」を感じましょう。
(以上、2つの話にはブログ作者の勝手解釈が混じっています)
そして、この2つの話には、強く繋がるものがあると感じています。
是非、実際にこの2つの話を読んでみてください。