今頃、なんで『ノルウェイの森』なの?と発売当時(もう24年も前だということを読んでから知りました)読まれた方は思うでしょうが、私としては、1月ほど前に、書店にうずたかく積まれていた、赤と緑の上下2冊の文庫本に気持ちを引き寄せられ、上を読んで面白くなかったらもったいないしと思って、上だけ買って、それから2週間ほどして下を買って読みました。
話の内容は、ワタナベ君という主人公が直子という友達の友達を好きになり、直子が精神的な病気になってから、同時期に、同じ大学の緑という女性を好きになるというような展開で、いやらしくはありませんが、性的な描写がかなり多い作品でした。「セックスは愛情表現の一部であって、全部ではない」という考えからすると、そのへんが読んでいて楽しくもあり、もう少し抑えて書いた方が良かったのではという気持ちがします。
特に、最後のあたりで直子が突然死んだというところは、いよいよ、これから緑を選択して、直子とどう別れるのか(きっとつらい別れの言葉を浴びせられるのでは?)という期待があっただけに、レイ子に自殺の全てを語らせるのが気にいらないのと、それを聞いた後でレイコと寝るか?それで本当に緑が好きって言えるの?っていう気持ちでした。
この作品のモチーフにビートルズの「ノルウェイの森」のいう曲(これを読むまで聞いたことはありましたが、タイトルは知りませんでした)がありそうですが、作者として一体この作品を通じて何を伝えたかったのかよくわかりません。
私なりに勝手な解釈をさせていただくと、
①「死は生の対局にあるのではなく、生の一部であり、生とつながっている」
②人生に好きな人が何人も現れるわけではなく、好きだと思えば、自然に好きになれば良 い。また、好きでなくなれば、自然と別れれば良い。
③でも、途中で好きな人を放り投げるのではなく、きっちりと整理してから、次の人に移れ。
④人は弱い。自分一人では淋しい。誰かのぬくもりに飢えている。
⑤人は、死ぬ前に、誰かに自分が生きていたということを覚えておいてもらいたいものだ。
とでもいうようなことなかって、思っています。
そして、主人公は、物語の最初の部分でハンブルク空港に到着しようとしているが、結局、緑とは結婚しなかったのだろうか?38年たっても、直子のことが忘れられずにいるということは?
とか考えてしまいました。
(自分としての結論)
人生において、まず、自分がしっかりしていないといけない。それは、肉体的にも、精神的にも、経済的にも。
でも、その強い自分になるためには、自分ひとりではなれない。誰か、親しい友人や恋人とか家族とか気持ちを正直に話し合える相手が必要だ。
だけど、一方的な関係は相手を疲れさせることになる。支え合う関係でそうした大切な人と過ごしていくべきだ。
ワタナベ君は他人の気持ちを理解できるとてもやさしい人間だ。でも、やさしいだけではたぶんダメ。もっと、力をつけなくては。
これは自分への反省でもある。