最近、雑誌を見る機会があった。その中に理研の量子力学に関したスリット実験で面白い記事があるので紹介する、すでにご存じの方も多い事でしょう。それは量子力学の範疇(Category)に入る話題だが、例の二重スリットの実験です。結論から言うと「現在の行為は過去を書き換える可能性がある」という認識です。我々は時間が一方向に流れていて、それが逆流しないという根本的な理解をもっている。若しもこれが破れたらそれは因果律が破れるという一種の革命です。因果律の認識論的起源はかなり古い。それはインドに始まった原始仏教の中にも捉えられて居て、たぶん起源は仏教以前まで遡ることが出来るに違いない。量子力学的認識は様々の面白い話題を提供している。この世界は足った一つの限定された世界では無くて、何重にも重なりを持つパラレルな世界であるという話題もある。過去と現在は、相互に何らかの限定された関係を持ってつながっているという事に成ります。日常的な平凡な感覚から言えば奇妙なことです。いま我々に世界認識の道は始まったばかりで、本当は我々を取巻く空間について根本的な事はまだ何も認識できず空白で知らないのだろう。我々の知能(自我意識)と言う物は、果たしてこのような世界構造を理解できるのだろうか?。
この理研のスリット実験の話を聞いて、直ちに想い出した事がある。確かもう十年以上前の事だ、セルンの実験で、特殊相対論が破れているという記事である。リーマン幾何学に基づいて質量がもたらす重力と空間の変形を現すのがアインシュタイン方程式ですが、この方程式は万古無変の方程式ではなくて、全く書き換えたり改良すべき点がない訳ではない。一般相対論が間違っていてもそんなに驚きはしないが、特殊相対論が破れるという事は,
現代物理の根幹に関する事だけに驚いた記憶がある。特殊相対論は光速度以上の速度は成り立たない事を前提にしている。それは物質の速度が光速度に近づくに従い、その物体は自己質量が増大し光の速度では極限に達するから、そんな事があり得ない。だが十数年前の記事は、ニュートリノが光速よりも僅かに早いという事を報じていた。これは結局、実験設備の配線のトラブルに起因する事故だったことが明らかに成ったが、多くの専門家は胸を撫で降ろしたに違いない。今回の因果律の破れは、これ以上の奇妙な結論であり、もう一度の慎重な実験が必要だろう。若しも記事が正しいのならば、過去、現在、未来、と言う線的な単純な世界像は最早成り立たない。因果律が世界構造を規定している。それが我々の巨視的世界では成り立つ。ところが最小の単位である量子状態では、因果律が線形的ではなく相互往還的とするならば、私の意識は、複数的いや多重に重なって無限に存在することにもなる。若しも因果律が破れているならば、それは確率空間にも影響する。量子力学は確率的世界観の上に建っている構築物であるから、当然ながら根源的な修正も要ることになる。我々は広大な宇宙を想う場合、自分の人生を重ねて過去・現在・未来、をおもう。そして宇宙の起源とその行く末を考える場合、ひとつの命の有り様に対比して来た。誕生・成長・死、である。そして誕生以前も死の後も、何かしら不明である。我々の記憶の機能は過去の事実を調べ知ることが出来るが、まだ来ぬ未来に附いては確率的解析に頼っている。まだまだ確率的数学は問題に応じて発展の荒野が残っている。
量子とは対極にある物に重力がある。天体力学を創り上げた開拓者(パイオニア)は、精緻なる観測者ティコ・ブラーェで、その残した資料は肉眼で観測した天文学史上最高の正確無比の物であった。その資料データが欲しくて、ケプラーはティコの助手となり、其処から宇宙の秘密の力を抽出することを目指していた。ヴィユルツブルグ大學で数学を学んだケプラーは、神聖ローマ帝国の宮廷数学官兼占星術師としてルドルフ四世に仕えていたが、自分の趣味の絵画や装飾品には大枚をはたいて何の後悔も無かったが、ケプラーへの給料は払わなかったから、食うや食わずの状態だった。いつの時代だってこんな事は起きている。時は三十年戦争の時代である。ティコのデータを詳細に解析して、彼は三つの法則を編み出した。太陽を回る惑星は円軌道ではなく、それは楕円である。そしてその二つの焦点を回る惑星の速度は、焦点を一つの点として場合の惑星の移動運動を二点としてその面積は一定である。何ということは無い焦点に附かづくと惑星の速度は増して焦点から離れればその速度は遅くなる。何ということは無い、それは引力の結果であるがケプラーにはその真の本質実態が解らなかった。彼は計算した結果を三法則として書き出した訳だ。
それが引力である事を史上初めて言及したのがニュートンである。月はなぜ落ちないのか?と聞かれて、常に月は地球に落ちているが月が落ちようとしている所に地球が無いだけだ。彼は万有引力を発見したが、その力の原因は分からなかった。ただ、その力を前提にして正確に太陽系の運航を計算できるのだった。月旅行もニュートン力学で十分できる。ニュートンが解らなかった万有引力の本質を明らかにしょうとしたのがアインシュタインだった。彼は平行線は宇宙の果てで必ず交わるというリーマンの楕円幾何学を元に質量に因って空間が歪で曲がっていることが引力の真の原因だとする一般相対論を提唱した。空間が曲がるという事などはニュートンの時代には考えられなかつたし、ましてケプラーの時代には思い付きもされる事は無かった。世界はユークリッド幾何学の様に平らであると考えられていた。
虚時間について
現状の認識では川のように時間は一方向にながれていると思われている。これは現在の現代物理学的認識であって、此れでなければならぬという訳では無い。過去と目する方向に流れても問題ない。それはエントロピーの逆変化が起きる事である。故事に「覆水盆に返らず」という言葉があるが、謂わば「覆水盆に返る」事が在っても好い。時間の流れは宇宙の始まりと関係している。それは天文学での宇宙の拡大が起きているとデータから信じられており、それに基づく認識です。時間が過去にも流れるとするならば一見奇妙な事も起きるでしょう。宇宙は始まりも終わりも無い、と謂うのが19世紀までの宇宙観でしたが、20世紀にはいると星の光の研究から星々が空間の膨張と共に光に近い高速度で遠ざかっているという結論が出た。もちろん疑っても好い。大型望遠鏡と遠方銀河の光の研究からである。この虚時間の問題は面白いと同時に難しい問題だ、虚というよりも相互方向への時間の流れである。多時間論が進まねば中々展望が開けない、昔、朝永が趙多時間論を展開したが、それは虚時間を拡張する物では無かった。今こそ時間論が発展する時代に成った。「時間の認識こそ」、難問を開く鍵となる。