ことばの特質上の階層を考えると、ひとに取ってのコトバの特質が分り易く把握される。
一つは一次元の内的言語、二つは二次元の音声に依る口語、三つは視覚の象徴性の書き言語、四つ目は更に抽象化された数式などの象徴言語、そして、未だ定義できない0次元のコトバと5次元のコトバである。この0と5次元の言語は、もっとも深い部分の特質を現して居るのだが、詳術する事は中々難しい。
№0ー0次元の言語、これを言語と呼ぶべきか迷う。それは存在と時間の意味、宇宙の始原と関係する基本の基本である。これに付いては具体的な考察は、今のところ不可能だ。これと5次元の言語については後で考察する。
№1ー1次元の言語、意識の内的な操作循環によるコトバである。
№2-2次元の言語、生物の声帯を震わしての、音を使った構造的な関係を持つコトバである。
№3-3次元の言語、これは生物の視覚の機能を多用した、視覚言語であり、当然のことながら2次元の言語
と対応している。その対応の仕方は様々な活用文法(時制や品詞活用、)と関係している。ここには現代言語学の様々な論が散りばめられている。一つの例を挙げれば意味論や生成文法などが挙げられる。
№4-4次元の言語、これは3次元の言語をさらに抽象化した言語であり、かくかくの人間の様々なローカルな言語の特徴を持ちながらも、基本的な通信の言語となる性質を持つ。いわばこの4次元の言語は様々な地球の地方に発生したどの言語とも違う物である。
№5-5次元の言語、これは最早、地球上での経験に根差した言語では無く、心という特質を直接的に介した謂わば感応通信とも呼べるものである。この5次元の言語は0次元の言語と同様に、生命体の発生始原と究極をつなぐループとして見る事が出来る。
では、1次元のコトバから考察を進めてみよう。
この1次元の言語は、普段ほとんど意識されな過程で、この、内的な意識の自律的なサイクルは、あらゆる原語の事実上の操作を成して、その使用基準に成っている。どんな言語も、このサイクルを介して創られたもので、世界中には数百の言語が有るが、その根本にはこのサイクルが在る。これを無くして言語は存在しない。ここ200年、或いは300年の言語探究の歴史を紐も解くと、言語起源の探究と系統の探究が流れとして在った。大体、古代以来、人間はコトバの探究に際しては、今自分たちが使っている言語が、どの様にして、如何に形成された物か?という事柄を議論している。記録に残る起源は古くてもプラトン辺りであるが、本当は、それはもっと古く数万年の歴史が有るのではなかろうか??
ヒトの言葉が意識の反映だとするならば、それは意識と同じように一つの物では無く、統合された現像である。意識も人の五感のあるいは五官の感覚が統合された物であるように、言葉も意識と同様な成り立ちをもっている。本来は、この統合の機能の起源は、0次元に属するのであろうが、それは未知の次元に成るので難しく、取り敢えず、我われが、意識で追える1次元の現象で考察してみよう。
突然に在ることが分る事が有る。考えても考えてもその原因や因果性がふと新たな概念が創出して、その問題が進む場合である。この様な現象をいったいどの様に理解すべきか?もちろん下準備的な努力は続けているにしてもである。これは自我意識とは別の所で、何かの自律的な運動が起きていると解釈した方が適切だ。明らかに自我としての自己認識していると幻想的に考えて居る自己という物は、本来はもっと幾つもの感覚的情報が組み合わされて出来た絵なのである。
*言語は人が成長に合わせて表現の方法を、親や身近な人から吸収するサイクルに依るものだ。
一つは一次元の内的言語、二つは二次元の音声に依る口語、三つは視覚の象徴性の書き言語、四つ目は更に抽象化された数式などの象徴言語、そして、未だ定義できない0次元のコトバと5次元のコトバである。この0と5次元の言語は、もっとも深い部分の特質を現して居るのだが、詳術する事は中々難しい。
№0ー0次元の言語、これを言語と呼ぶべきか迷う。それは存在と時間の意味、宇宙の始原と関係する基本の基本である。これに付いては具体的な考察は、今のところ不可能だ。これと5次元の言語については後で考察する。
№1ー1次元の言語、意識の内的な操作循環によるコトバである。
№2-2次元の言語、生物の声帯を震わしての、音を使った構造的な関係を持つコトバである。
№3-3次元の言語、これは生物の視覚の機能を多用した、視覚言語であり、当然のことながら2次元の言語
と対応している。その対応の仕方は様々な活用文法(時制や品詞活用、)と関係している。ここには現代言語学の様々な論が散りばめられている。一つの例を挙げれば意味論や生成文法などが挙げられる。
№4-4次元の言語、これは3次元の言語をさらに抽象化した言語であり、かくかくの人間の様々なローカルな言語の特徴を持ちながらも、基本的な通信の言語となる性質を持つ。いわばこの4次元の言語は様々な地球の地方に発生したどの言語とも違う物である。
№5-5次元の言語、これは最早、地球上での経験に根差した言語では無く、心という特質を直接的に介した謂わば感応通信とも呼べるものである。この5次元の言語は0次元の言語と同様に、生命体の発生始原と究極をつなぐループとして見る事が出来る。
では、1次元のコトバから考察を進めてみよう。
この1次元の言語は、普段ほとんど意識されな過程で、この、内的な意識の自律的なサイクルは、あらゆる原語の事実上の操作を成して、その使用基準に成っている。どんな言語も、このサイクルを介して創られたもので、世界中には数百の言語が有るが、その根本にはこのサイクルが在る。これを無くして言語は存在しない。ここ200年、或いは300年の言語探究の歴史を紐も解くと、言語起源の探究と系統の探究が流れとして在った。大体、古代以来、人間はコトバの探究に際しては、今自分たちが使っている言語が、どの様にして、如何に形成された物か?という事柄を議論している。記録に残る起源は古くてもプラトン辺りであるが、本当は、それはもっと古く数万年の歴史が有るのではなかろうか??
ヒトの言葉が意識の反映だとするならば、それは意識と同じように一つの物では無く、統合された現像である。意識も人の五感のあるいは五官の感覚が統合された物であるように、言葉も意識と同様な成り立ちをもっている。本来は、この統合の機能の起源は、0次元に属するのであろうが、それは未知の次元に成るので難しく、取り敢えず、我われが、意識で追える1次元の現象で考察してみよう。
突然に在ることが分る事が有る。考えても考えてもその原因や因果性がふと新たな概念が創出して、その問題が進む場合である。この様な現象をいったいどの様に理解すべきか?もちろん下準備的な努力は続けているにしてもである。これは自我意識とは別の所で、何かの自律的な運動が起きていると解釈した方が適切だ。明らかに自我としての自己認識していると幻想的に考えて居る自己という物は、本来はもっと幾つもの感覚的情報が組み合わされて出来た絵なのである。
*言語は人が成長に合わせて表現の方法を、親や身近な人から吸収するサイクルに依るものだ。
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